Peebles, Mayor & Queloz: Winners of 2019 Nobel Prize for Physics announced
ミシェル・マイヨール博士
ミシェル・マイヨール博士がノーベル物理学賞に輝く!
2019.10.08 公益財団法人 稲盛財団
2015年に京都賞基礎科学部門を受賞したミシェル・マイヨール博士が10月8日、ノーベル物理学賞の受賞者に選ばれました。受賞理由は「太陽系外惑星の発見」です。このたびのご栄誉、誠におめでとうございます!
太陽以外の恒星をまわる「系外惑星」は、50年以上探索してもなかなか見つけられませんでした。しかし、マイヨール博士が1995年に、約50光年の距離にある太陽に似た恒星「ペガスス座51番星」をまわる系外惑星を、初めて発見しました。
京都賞受賞者でノーベル賞(#NobelPrize)を受賞された方は、今回を含めると11人目となりました。
https://www.inamori-f.or.jp/2019/10/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%8C%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E3%81%AB/
科学でスポックを探すと 系外惑星と系外移住 より
他の星系に生命がいるという考え方は古く、少なくとも古代ギリシャの頃から人々が想像を巡らせる元だった。それでも、太陽系の外に生命を探そうという本格的な科学の試みが出て来たのは1960年代になってからで、当時は片隅の試みだった。カール・セーガンやフィリップ・モリソンなどの有名な研究者が何人もこの研究に参加したが、十分な資金は出してもらえなかった。どんなに熱心な関心を抱く人にとっても、ずっと片隅の研究にとどまっていた。
それが大きく変化したのは1990年代で、この研究は片隅から現代天文学の中心的な位置へと移動した。今の研究資金は1990年代になる前に比べると何百倍にもなっている。そうなった理由としては、このテーマへの関心が増えたからというよりも、技術が発達したからというほうが大きい。
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1960年代には、太陽系には他に高度な生命がいるところはないことが明らかになったので、関心は他の太陽系に仮想される惑星の生命に向かった。とはいえ、他の太陽系へ旅行するためのエネルギーコストはとても手が出ないほど高く、いくら相対性理論があると言っても、時間もかかる。そのため、太陽系の外にいる生命を遠くから探知するというほうへ焦点は移った。ジュゼッペ・コッコーニとフィリップ・モリソンは、1959年、電波望遠鏡を使えば、10光年以上離れたところから高度なエイリアン文明が出す電波あるいはマイクロ波が検出できることを指摘した。
1960年代は電波望遠鏡の時代で、この種の望遠鏡が無数の発見をして、とりわけビッグバンの熱による背景放射やパルサーを検出したのもこの時期だった。実は、1962年、ジョスリン・ベル=バーネルが初のパルサー発見となる電波信号を検出したとき、その信号が周期的なことから、最初は地球にコンタクトを試みるエイリアンからの信号だと考えられた。この信号は当初LGM-1という名を与えられたが、この略号は「小さい緑の人」のことだった。私は1959年から1993年までの時代をSETI時代と呼ぶ。地球外知的生命探査が栄えた時期だからだ。さしあたり、カール・セーガンやフランク・ドレイクが最初に組織し、後にスティーヴン・スピルバーグなどが資金を出して、いくつかの知的エイリアン探査計画が実施され、電波あるいはマイクロ波の回路で地球にコンタクトを試みる異星の種族を探したが、見つからなかった。
1960年代には、系外惑星(エクソプラネット)――太陽系の外にある惑星――を探知することは不可能だった。そのため研究者は知的生命が送ってくる信号を探そうとした。それ以外に信号を検出するすべはなかった。