じじぃの「神話伝説_36_コリントの信徒への手紙(使徒パウロ)」

エスキリストの復活 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=5gdZcqLttKE
十字架にかけられたイエス

コリントの信徒への手紙1 ウィキペディアWikipedia)より
『コリントの信徒への手紙1』は新約聖書に収められた書簡の1つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である。『コリント人への第1の手紙』ともいわれる。続けて書かれた第2の書簡『コリントの信徒への手紙2』もある。『1コリ』という略称が用いられることもある。
【内容】
この手紙の内容は以下の4つの部分に分けることができる。
・まず第1の部分は1章〜4章でパウロがコリントの共同体で起こっていた深刻な分裂について嘆いている。
・第2の部分は5章と6章で、パウロがコリントの共同体で起こっているといわれた不道徳な行いについて改めるよう忠告している。
・第3の部分は7章〜14章にわたる箇所で、コリントの信徒からの疑問点にパウロが答えている。この中で「主の晩餐」について触れられていることからパウロ時代の教会生活の一端がうかがえる。また13章には「愛の賛歌」と呼ばれる箇所が含まれている。
・第4の部分、結びの部分となる15章と16章は死者の復活についてのパウロの考えが記され、最後の挨拶が述べられている。

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ナザレのイエスは神の子か?―「キリスト」を調べたジャーナリストの記録』  リー・ストロベル/著、峯岸麻子/訳 いのちのことば社 2004年発行
エスの復活を調べる (一部抜粋しています)
コリント人への手紙1、15章の信条は、イエスが500人の前に姿を現したという記述がある唯一の文献である。福音書にもこのような記述はないし、聖書以外の一般の歴史書にもこうした記録はない。これは、黄色信号だ。
「これが事実だとすれば、どうしてこの件について触れている文献が他にないのでしょうか。本当だとすれば、使徒たちがこぞって、この話を吹聴したとは思われませんか。無神論者のマイケル・マーティンは、『この事件が実際に起こったと結論づけるのはあまりにも無理があり』、したがってこれは『非直接的ではあるが、パウロの信頼性を傷つけるものである』と言っていますよね」
この私の発言に、「これはパウロの信頼性を傷つける見解は、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがありませんね」と言ったハバーマス博士の声は、呆れに呆れ、苛立っていた。私の発言に、博士は明らかに気分を害していた。
「とにかく、もういい加減にしてくれという感じですよ。500人の前にイエスが姿を現したという記述がここにしかなかったとしてもですよ、この信条が最も古く、もっとも広く認められている文章であることには間違いないのです。この事実だけでも、注目するべきだと思いませんか。
それから、パウロは明らかにこれらの人々と近い関係にありました。彼は『その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます』と書いています。つまりこの500人のうちには、パウロが個人的に知っている人がいたのです。そうでなかったとしても、パウロの知人に彼らを知っている人がいて、彼が望めばそうした人々から話が聞けるような状況にあったわけですよ。
ですから、ここで私たちはよく考えなければなりません。この事件に出くわした人母とが復活のイエスに出会ったのだと確信していなければ、パウロは絶対にこんなことを書くはずがないのです。パウロは人々に、自分の書いたことを調べてみてくれてかまわないと言っているのですよ!
それから、この事件について書いてある記録は、これ1つしかない。どうして他の資料がないんだろう、とおっしゃる。しかしですよ。だからと言って『これは、他の人が気にもしなかったくだらないことだ』と断定できますか。資料がこれ1つしかないからという理由で、この事実を軽視することはできませんし、パウロの信憑性に傷がつくことも、まったくありませんよ。マーティンは、この議論をたてに是が非でもパウロの信憑性を傷つけたいのでしょうが、彼がきちんとした理論的な理由をもってパウロの信憑性を傷つけることは不可能ですよ。
これはキリスト教を批評する者たちが二枚舌を使うよい例です。パウロは最も影響力のある人物と考えられています。そこで批評家たちは、パウロの記述をもとに、イエスの復活に関する福音書の記述を侮辱しています。しかし、この500人の前に姿を現したイエスの話に関しては、パウロの信憑性を疑うというのです。しかも、ですよ。いずれにしてもその内容なんか初めから信じてなどいないのです。これが彼らのやり方ですよ」
それでも私は、イエスがこれだけの大衆の前に姿を現したということが想像できなかった。「もしこれが事実だとすれば、イエスはどこで500人の前に姿を現したのでしょうか」
「おそらくガリラヤの片田舎だと思われます。イエスは5000人の人に食事を施したことがあるのです。500人を前に説教することなど、朝飯前ですよ。マタイの福音書では、イエスは丘の上に現れたとあります。11人の弟子だけでなく、他の人々もいたでしょうね」
その様子を想像しながらも、私はパウロ以外の人間がこの事件について記録を残さなかった事実を信じられずにいた。「これだけの大事であれば、ヨセフスが何か書いたのではないでしょうか」
「必ずしもそうとは言えません。ヨセフスの記録はこの時期から60年ほど後に書かれています。人の噂も75日と言うではありませんか。ですからヨセフスがこの事実についてまったく知らなかったか、あるいは、この件について書く必要がないと思ったのかのいずれかでしょう。ヨセフスはクリスチャンだったわけではありませんから、その可能性は十分あります」
私がしばらく黙っていると、博士は言葉を継いだ。「いいですか。私だってこの件について、ほかに5つくらい文献があったらと思います。でもないのですよ。しかし、たった1つだけれど、とても素晴らしい資料があるのです。このパウロの信条は、非常に確実な資料であり、ドイツ人歴史家のハンス・フォン・カンペンハウゼンも『パウロの記述は、歴史的史料がその信頼性を認められるために必要な、すべての歴史的事実を有している』と認めているのです。それに、イエスの復活を立証するのに、この500人の記述だけに頼る必要はありません。私が復活について話すときにこの記述を引用することは滅多にありません」