じじぃの「神話伝説_35_ルカによる福音書」

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Lectionary (Lectionarium; Secundam Lucam)
Latin Text

ルカによる福音書 ウィキペディアWikipedia)より
ルカによる福音書』(ラテン語: Evangelium Secundum Lucam)は、新約聖書中の一書で、イエス・キリストの言行を描く4つの福音書のひとつ。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』(以下『ルカ福音書』)の3つは共通部分が多いことから共観福音書とよばれる。
福音書中には一切著者についての言及はないが、それぞれの冒頭部分の献辞などから『使徒言行録』と同じ著者によって執筆されたことは古代から認められており、現代の学者たちのほとんどが本福音書使徒言行録は著者による二巻の作品が新約聖書の成立過程でイエスの生涯を記す福音書と、イエス後の教会の発展史という観点から分離して配列されることになった可能性が高いと考えている。(このため、『ルカ福音書』と『使徒言行録』をあわせて「ルカ文書」と称することもある。)伝承では『ルカ福音書』の著者はパウロの弟子の医師であるルカとされてきた。その名は『フィレモンへの手紙』等に見られる。

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ナザレのイエスは神の子か?―「キリスト」を調べたジャーナリストの記録』  リー・ストロベル/著、峯岸麻子/訳 いのちのことば社 2004年発行
歴史家ルカの正確さ (一部抜粋しています)
医師であり歴史家であったルカは、自身の名を冠した福音書使徒の働きの著者であり、この2書を合わせると新約聖書の4分の1がルカによって書かれている計算になる。したがって、ルカが事実を正しく書き記すことのできる歴史家であったかどうかを知るのは大変重要だ。「考古学者がルカの作品を調べた場合、彼はどんな人物として評価されていますか。几帳面で正確な歴史家ですか。それともいただけない歴史家に一人ですか」と私は聞いた。
「穏健化・保守派を問わずルカが非常に正確な記録を残した歴史家であることは一般的に認められています。彼は博学で表現力のある人でした。彼のギリシャ語は古典に近いものでしたし、その文体を見れば、教育のある人が書いたものであることはすぐわかります。また考古学では、ルカの記録の正確さが繰り返し証明されています」
博士によれば、ルカの福音書については、カイザリヤの港のような話がいくつかある。つまり、学者たちは当初ルカの記述を疑う。が、その後新たな発見があって、記述の正確さが判明するというパターンだ。
たとえばルカの福音書3章1節に、紀元27年頃、ルサニヤがアビレネの国王だったとある。しかし、ルサニヤはその50年ほど前にカルキスの領土を務めた人物で、アビレネの国王ではなかった。研究者たちはこの記述を間違いとし、この程度の基本的な事実をしっかりと押えられないようでは、ルカの書いたものはどれも信じられないと言っていた。
しかし、ここで考古学が登場する。「紀元14年から37年のティベリウス帝の時代の碑文が見つかりましてね。そこには、ルカが記したとおりダマスコの近郊、アビレネの国王がルサニヤであったと書かれてあったのです。つまり、ルサニヤという名前の当事者が2人いたわけですね! これでルカが正しかったことが証明されました」
もう1つの例が、使徒の働き17章6節に出てくる「ポリタルケース」という言葉だ。この単語はテサロニケの「役人」と翻訳されている。
「他のどのローマ文献を見ても、この言葉は使われていません。それで、研究者たちは長い間、ルカが勘違いをしていると信じてきました。しかし、1世紀に建てられたアーチに碑文が書かれているのが見つかりましてね。それが『ポリタルケースの年に』と始まっていたのです。ちなみに、大英博物館に行きますと、この碑文の現物が見られます。その後、ルカが書いていた年代と同時期のテサロニケから『ポリタルケース』について書かれてある碑文が、驚くなかれ35個も発見されたのです。ここでもまた批評家の意見が間違っており、ルカが正しいことが証明されました」
ここで私の中に反対意見が浮かんだ。「なるほど。しかし、盲目のバルテマイという人を癒す話がありますね。あそこでルカは、イエスが『エリコに近づかれたころ』と書いているのに、マルコは『エリコを出られると』と書いています。これは決定的な違いであり、新約聖書の信憑性を脅かすものだとは思われませんか」
ストレートな質問に気分を害することもなく、博士は答えはじめた。「いいえ、まったくそんなことはないですね。現代のものさしで測るから、そう感じるのです。私たちが知っている都市は、一度確立されたらそこから動きませんからね。しかし、古代では必ずしもそうではなかったのです。 古代エリコなる都市は少なくとも4ヵ所で確認されており、一番離れたところでは、40キロの隔たりがあります。都市が破壊された後、より水源に近い所に、あるいは山に近い所に、幹線道路に近い所に等々、理由は何であれ、以前とは違うところに都市が債権されるケースがありました。とにかくここでのポイントは、イエスがエリコが存在した地域を出て、別の地域に再建されたエリコに入っていくことが可能であるという事実です。まあ、シカゴ郊外のある地域から、同じシカゴの郊外の別に地域に移動するようなものですかね」
「じゃあ、ルカもマルコも正しいとおっしゃるわけですね」
「そのとおりです。イエスがエリコと呼ばれるある地域から出て、同時にエリコと呼ばれる別の地域に入っていくのは可能です」
ここでもまた、考古学はルカの信頼性を裏づけたのだ。新約聖書の4分の1というかなりの量がルカによって書かれた事実を考えると、彼が細部にまで気を遣い、正確に記録を残す歴史家であることが証明されるというのは大変意義深いことだ。ある高名な考古学者がルカの残した文献を注意深く調べたところ、22ヵ国、54都市、9島をまたがる彼の記述の中に、1つの間違いも見つけることができなかったという事実もある。