じじぃの「新幹線の土台を支えて50年・丸上製作所・ばね!おはよう日本」

Tomy Plarail Shinkansen Cross Country WideScreen 動画 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=4N_fNMMke-I
イギリスに渡った新幹線0系 Japanese Bullet Train in NRM : National Railway Museum 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1COURhQoJqA
新幹線


新幹線の土台を支えて50年 「ばね」

丸上製作所編①「新幹線の土台を支えて50年」 東海道新幹線 開業50周年記念サイト
Q:丸上製作所はどのような会社か教えてください。
A:弊社は1906(明治39)年創業で、愛知県豊川市でばねを専門に製造している会社です。東海道新幹線では、車両や線路に弊社のばねが使用されています。
http://shinkansen50.jp/job/marugami_01.html
東海道新幹線50年「歴史編」 国内外の要人を魅了した「夢の超特急」 2014.10.01 THE PAGE
新幹線が産声をあげたのは1964年です。この年は東京オリンピックが開催された年でもあり、高度経済成長を象徴づける東海道新幹線は “夢の超特急”と呼ばれました。
http://thepage.jp/detail/20141001-00000008-wordleaf
【中国BBS】やっぱり日本の新幹線は世界一…賛同の声集まる 2013/03/21 サーチナ
中国大手検索サイト百度掲示板に「やっぱり日本の新幹線は世界一だ」というスレッドが立てられ、中国人ネットユーザーが議論を交わした。
 スレ主は、新幹線は運行から50年以上も経過しているのに、死亡事故がないのはすごいことだと称賛したところ、中国人ネットユーザーからは、「本当か? 調べてみれば出てくるんじゃないか?」と疑うコメントが寄せられた。
 1995年に東海道新幹線三島駅乗客転落事故によって、旅行客の死亡事故は発生したことはあるのだが、「車内の乗客が死亡した事故」はいまだかつてゼロであり、衝突や脱線などによる死亡事故は一度も起きていない。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0321&f=national_0321_033.shtml
おはよう日本 2014年9月30日 NHK
【司会】鈴木奈穂子阿部渉
▽新幹線支えた技術と思い
東海道新幹線は明日で開業50年となる。
夢の超特急とよばれ一番列車の運転士はスピードへの期待に応えるためにある決断をしていた。
高速化を支えてきたのが車両の振動を吸収する「ばね」である。
そこには親子3代にわたる中小企業の技術があった。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/
どうでもいい、じじぃの日記。
9/39、NHK 朝のニュース番組『おはよう日本』を観た。
こんなことを言っていた。
【新幹線支えた技術と思い】
東海道新幹線は、昭和39年10月1日の開業から、明日で50年を迎えます。
当時、世界最高速度の時速210キロ、夢の超特急と呼ばれた新幹線。
そのスピードへの期待に応えるため、一番列車ではある決断がありました。
上りの一番列車の運転士、大石和太郎さん。81歳です。
50年前の10月1日、大石さんが運転する東京行きの一番列車は、盛大な出発式で見送られました。
乗客たちには、ビュッフェに設置されていた速度計や、車掌のアナウンスで、時速210キロ到達が知らされました。
大石さんは、あくまで認められた速度で運転したということです。この最高時速210キロ。
現在は270キロに達し、来年春にはさらに15キロ速くなります。
その新幹線の高速化を支えてきたのが、車両の振動を吸収する「ばね」です。
スピードアップを実現してきたのは、親子3代、半世紀にわたってばねを生産してきた、中小企業の技術でした。愛知県豊川市にある 社員およそ100人のばねのメーカー「丸上製作所」です。
社長の小松義博さんです。新幹線の開業以来、祖父の代から3代にわたって、ばねを作り続けています。
開業当時、未知の速度で走る新幹線のばねには、確かな強度と弾力性が求められました。
小松さんの会社は、そのための生産技術を試行錯誤しながら培ってきました。
最も重要な工程が、焼き入れです。
高温に熱したばねを、油に入れて冷まし、強度を上げる作業です。ばねが800度以上で、しかも、むらなく熱せられているかを色で確認。炉から取り出し、寸法も確認します。
クレーンでつり上げ、油に浸します。1人で行う一連の作業に許される時間は、わずか30秒。これをすぎると、ばねの強度が落ちてしまうのです。
さらに車両の揺れを吸収するには、ばねの両端を1ミリ以下の単位で調整し、平行にしなければなりません。
鍵は鋼材の巻き取りです。
仕上げは熟練の技術者が手作業で調整します。
こうした技術の礎を築いたのは、小松さんの父親の喜一郎さんでした。
愚直に、まじめに、安全なものを作れと言い続けていた喜一郎さん。今月6日、87歳で亡くなりました。
父親の背中から、ものづくりを学んできた小松さん。これからは、自分が新幹線のさらなる進化を支えたいと考えています。
じじぃの感想
2014年10月1日で、東海道新幹線は50年を迎えた。
新幹線は運行開始から今まで、衝突や脱線による死亡事故は一度も起きていないのだそうです。
「新幹線の開業以来、祖父の代から3代にわたって、ばねを作り続けています」
目がしらが熱くなりました。