じじぃの「人の生きざま_451_ニコラス・ネグロポンテ」

ニコラス・ネグロポンテ: 未来の30年史 動画 TED.com
https://www.ted.com/talks/nicholas_negroponte_a_30_year_history_of_the_future?language=ja
Google Mapのストリートビュー撮影車

NHKスーパープレゼンテーション Google+
メディアラボを創設し、初代所長を務めたニコラス・ネグロポンテさんが登場。番組ナビゲーターで現所長の伊藤穰一さん(+Joichi Ito)が"師匠”と慕う人物です。
実はネグロポンテさん、TEDが最初に開催された1984年から、通算14回も登壇した、いわばTEDの顔。毎回、テクノロジーの未来についてさまざまな予言をしており、今回のプレゼンでは過去30年を一気に振り返ります。
伊藤さん曰く、"未来予想を的中させた”ところが凄いとか。私も、1995年当時、ワクワクしながら、ベストセラーとなった彼の著書『Being Digital』(ビーイング・デジタル)』を買った一人です。
https://m.google.com/app/basic/107746825901470846019/posts?cbp=ur6f7v14fz28&partnerid=operamini1104&sview=25&cid=5&soc-app=115&soc-platform=1
スーパープレゼンテーション 「30年間の未来予測を語る」 2014年10月1日 NHK Eテレ
【プレゼンター】ニコラス・ネグロポンテMITメディアラボ創設者)
私の予想では、人が情報を食べる時代がやってくるでしょう。錠剤を飲めば、英語やシェークスピアを学べるようになる。情報は血液に流され、脳へと届けられるようになるでしょう。
【プロフィール】
1943年生まれ。海運業を営むギリシャ人の息子として、スイス、英・ロンドン、米NYで育つ。
MIT建築学科でCAD等を学び、66年に修士号取得。同年、25歳の若さでMITにて教鞭を執り始め、80年に教授に就任。エール大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学バークレイ校でも教える。HCI(ヒューマン=コンピューター・インタラクション)に関心を持ち、68年にMITでArchitecture Machine Groupを設立。
85年、MIT元学長ジェローム・ウィーズナーと共にMITメディアラボを設立し、00年まで初代所長を務めた。93年、『Wired』誌の最初の出資者になり起業を支援、98年までコラムを寄稿。95年の著書『Being Digital』(ビーイング・デジタル-ビットの時代)は世界的なベストセラーに。05年、開発途上国の子どものためのNPO団体『OLPC (One Laptop Per Child)』を立ち上げる。
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/141001.html
10月1日 NHK Eテレ スーパープレゼンテーション 「30年間の未来予測を語る」より
エンテベ事件が起こりました。1976年にエールフランス機がハイジャックされ、エンテベ空港まで連れ去られ、その際イスラエル人達は鮮やかな救出活動を行いましたが、実はそのために彼らは、空港の実物大モデルを砂漠に作ったのです。
彼らはそこで空港の間取りを体験し熟知していたため、エンテベ空港に着いた時には、どう動けば良いか分かっていたのです。
76年、アメリカ政府から私達研究者の幾人かに、これをコンピューター上で再現出来ないかという打診があり、私のような者は当然イエスと言い、直ぐさま防衛省との契約が結ばれ、我々はこのトラックと撮影装置を作りました。ビデオディスクを使って、シミュレーションの一種を行いました。繰り返しますがこれは76年です。
車の上にテレビを付けて走り続けている自動車の映像が出てきた。
数年が経ちこの車が出来上がり、その結果、グーグルマップ(Google Map)となりました。
それでも人々はこれを真っ当なコンピューターサイエンスだとは見なしませんでしたが、MIT学長のジェリー・ウィーズナーは違いました。これを真っ当な研究だと考えたのです。私、メディアラボを立ち上げる時は心強かったですよ。人生で何かをやってみようと思う人への鍵となるアドバイスですが、組織のトップを巻き込むことです。それでメディアラボの運営はゴリラを助手席に乗せているようなものでした。スピード違反をして止められたら、窓を覗き込んだ警官は助手席を見てこう言います。
「失礼しました。どうぞお進み下さい」
それで、私達には制約が少なく研究が行えました。これは可愛らしい「デバイス」です。ジェリー・ウィーズナーのレンチキュラー写真で、口だけが動くようになっています。このレンチキュラーシートに映る彼の写真を振動させると、ごく単純な仕組みでリップ・シンクが出来るのです。当時のインターネットを介さないテレカンファレンス・システムというわけでした。