じじぃの「上空一万五千フィートの東京五輪・ブルーインパルス!昭和の特別な一日」

東京オリンピック開会式 (1964年) 動画 Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=21ZG9oh7VX8
ブルーインパルス 五輪 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=lVOeh-LCrdk
F86F BLUE 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=P2z62Rlf0kM
2020年五輪招致 3都市によるプレゼンテーション 画像
http://img.47news.jp/47topics/images/2020olympics.jpg
1964年 東京オリンピック ブルーインパルス

2020年東京オリンピック ブルーインパルス Google 検索
https://www.google.co.jp/search?tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=Xu4sUs2tDIPDkwXDq4CICw&ved=0CFwQsAQ&biw=1030&bih=621&q=2020%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%20%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B9
特報首都圏 「発掘“幻の日記”〜よみがえる東京五輪の真実〜」(追加) 2014年10月10日 NHK
【司会】斉藤孝信 【ゲスト】伊東四朗為末大
50年前、東京オリンピックの成功を支えた人物が、開催にいたるまでの内幕を克明に記録した“幻の日記”の存在が、NHKの取材で明らかになった。
記録されていたのは、“秘密の会合”など知られざる舞台裏だった。
日記の主は、当時の東京都知事東龍太郎、またの名を“オリンピック知事”。
http://www.nhk.or.jp/tokuho/program/141010.html
おはよう日本 2014年9月30日 NHK
【司会】鈴木奈穂子阿部渉
▽新幹線支えた技術と思い
東海道新幹線は明日で開業50年となる。
夢の超特急とよばれ一番列車の運転士はスピードへの期待に応えるためにある決断をしていた。
高速化を支えてきたのが車両の振動を吸収する「ばね」である。
そこには親子3代にわたる中小企業の技術があった。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/
さようなら国立競技場、東京の空でも復活したブルーインパルス 2014.05.31 THE PAGE
航空自衛隊の曲芸飛行チーム「ブルーインパルス」が31日、1964年の東京五輪以来、約50年振りに東京都新宿区の国立競技場を航過飛行し、競技場内のみならず、都内の飛行ルート全域を湧かせました。
http://thepage.jp/detail/20140531-00000024-wordleaf
昭和毎日:東京オリンピック 1964年10月10日 毎日jp
開会式に自衛隊ブルーインパルス」が空に描いた5つの輪。
http://showa.mainichi.jp/news/1964/10/post-21a5.html
ブルーインパルス ウィキペディアWikipedia)より
ブルーインパルス(Blue Impulse)は航空自衛隊松島基地第4航空団第11飛行隊所属の曲技飛行隊の愛称である。愛称は初期のコールサイン「インパルス・ブルー」が由来である。
【F-86F 1960年 - 1981年】
初代機体F-86Fは、航空自衛隊創設に当たり、アメリカから供与された当時の主力戦闘機である。東京オリンピックの開会式で五輪の輪、大阪万博開会式で EXPO70 の文字を空に描いたことなどで知られる。22年間に545回の公式展示飛行を行った。
当時は訓練空域が今ほど飛行場から遠くはなく、錬度の確保が行いやすかった。そのため演技の精度は高く、さらに規制も緩やかだったために「草をぶっちぎる」といわれるほど高度が低かった。
あまりの低空で後方の観客は演技が見られないうえ、エンジンの爆音が機体の後ろから必死に追いかけてくるほど速い亜音速での全力単独超低空飛行や、上方空中開花の直後、急降下した4機が前後左右から超低空で会場に侵入し同時に至近距離で上下左右に交差する演技、パイロットの度胸を見せ付ける超低空での背面単独飛行など、今ではありえない連続技や度肝を抜く演技が多く、旧軍戦闘機パイロットの伝統を受け継ぐ凄まじい高錬度を観客に見せ付けた。観客から、自然に「最強(パイロット)!」との歓声が上がったのが、この時代のブルーインパルスの特徴であり、「これ以上はありえない」と多くの観客が思ったことが、F86ブルーインパルスが今や伝説の部隊となっている理由であろう。

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『昭和の特別な一日 杉山隆男/著 新潮社 2012年発行
上空1万5千フィートの東京五輪 (一部抜粋しています)
鳩が放たれ、「君が代」が流れ、五輪のマークが空に描かれる。そしてテレビの中継は、ロイヤルボックスから開会式の模様をながめていた皇后が傍らの昭和天皇に声をかけ、ほら、とでもいうように笑顔で空を見上げている映像を映し出していた。
5人の航空自衛隊パイロットはオリンピック組織委員会からのオーダーに完璧に応えてみせたのである。
国立競技場の上空はマークを描く5機のF86よりさらに高い空からのその様子を息を詰めて見守っていた鈴木(防大1期生)は、彼らが旋回に入り、輪をかきはじめた時点で、これはいい、とすぐにわかった。
輪と輪のほどよい感覚も、機体の後尾から吐き出されるスモークがおむすびの形になることなく、なだらかに弧を描いているところもこれまでとはまるで違う。百数十回挑戦しながらただの一度として成功したことがなかったのにと、本番ではものの見事にやってのける。5人こそほんとうのプロフェッショナルだ、と鈴木は思った。
旋回を終えた5機はいっせいに機首を上げ、2万フィートまで上昇した。彼らはそこではじめて自分たちが描いた輪を目にしたに違いなかった。
5機を集合させて隊形を整えるために、編隊長が「ジョインアップ」と指示を出す。
「2番機ラジャー」 「3番機ラジャー」 「4番機……」
呼び応えるその声が無線越しに震えているのを聞いたとき、鈴木の中で熱いものが一気にこみあげてきて、眼の前がかすんだ。
それは、鈴木の後ろに座っていた同乗者も同じだったはずである。
F86セイバーと違い、T-33は複座と言って2人乗りのジェット練習機である。ただこれまでの訓練では同乗されることなど一度もなかったのだが、本番だけは、ブルーインパルス・チームの整備員を代表する形で整備小隊長が東京上空1万5千フィートから眼下に浮かぶ五輪を眼にできる特等席を占めていた。
スモークでつくられた五輪は色のムラもなく、絵の具で描いたように5大陸をイメージした、青、黄、黒、緑、赤できれいに色づけがされていたが、このときを迎えるまでには整備員たちのなみなみならぬ努力と試行錯誤があったのである。
スモークに色がつくのはエンジンの潤滑油に顔料の染め粉が混ぜてあるからなのだが、飛んでいる間にタンクの底に染め粉が沈殿してしまい、色が白濁したり、かと思えば、突然濃くなったりと、なかなか均一な色にならなかった。そこで原始的なやり方ながら、フライトの前には整備員がF86の胴体に馬乗りになった、タンクの中に長い棒を突っ込ませ、染め粉を少しでも溶かすためにかき混ぜることにした。それは、本番のこの日、入間を飛び立つ直前もつづけられたのである。
5色のうち、青、黄、緑、赤は比較的容易に色づけができたが、問題は黒だった。地上で試すときにはちゃんと黒いスモークなのに、1万フィートまで上昇すると、気温が急激に下がるため、茶色に変色してしまうのだ。改良を試みてさまざまに工夫を凝らし、試行錯誤を重ねた末、高度が高くても墨のような黒々としたスモークを出すことに成功したのは本番のわずか1週間前だった。
そうした整備員たちの労苦にチームは支えられていた。そのことへの感謝のしるしと、何があろうと天命を信じ、本番の間も全員で5人を支えているという一体感を地上で見守る整備員も感じとれるように彼らの代表に搭乗してもらったのである。そしてじっさい東京の空はその瞬間、7人のサムライをはじめ、オリンピックマーク・スモーク作戦にかかわった者たちすべてが歓喜を分かち合える空となったのだった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館から『昭和の特別な一日』という本を借りてきた。東京オリンピックのときの「ブルーインパルス」のことが載っている。
「東京の空はその瞬間、7人のサムライをはじめ、オリンピックマーク・スモーク作戦にかかわった者たちすべてが歓喜を分かち合える空となったのだった」
この本を読むまで、大空に五輪のマークを描くことがいかに難しい仕事であったかを知らなかった。
確か、雲1つない、青空にきれいな五輪のマークが描かれていた。
東京の上空でまた、このような五輪のマークが見られるときが訪れるのだろうか。