じじぃの「人の死にざま_1404_ウィリアム・グラッドストン」

William Ewart Gladstone 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VU6cDANAFJA
ウィリアム・グラッドストン

ウィリアム・グラッドストン ウィキペディアWikipedia)より
ウィリアム・エワート・グラッドストン(英語: William Ewart Gladstone, FRS, FSS、1809年12月29日 - 1898年5月19日)は、イギリスの政治家。
ヴィクトリア朝中期から後期にかけて、自由党を指導して、4度にわたり首相を務めた(第一次: 1868年-1874年、第二次: 1880年-1885年、第三次: 1886年、第四次: 1892年-1894年)。
生涯を通じて敬虔なイングランド国教会の信徒であり、キリスト教の精神を政治に反映させることを目指した。多くの自由主義改革を行い、帝国主義にも批判的であった。好敵手である保守党党首ベンジャミン・ディズレーリとともにヴィクトリア朝イギリスの政党政治を代表する人物として知られる。

                                • -

『日本の歴史を貫く柱』 副島隆彦/著 PHP文庫 2014年発行
明治維新はイギリスの世界戦略の中に組み込まれていた (一部抜粋しています)
阿片(あへん)戦争(1840年 - 1842年)以来の、イギリス保守党(貴族党)の中国へ強引なやり方に対して、イギリス国内でも批判が起きていた。強圧的な対外政策への反省の国民世論を代表したのが自由党(上層市民党)のグラッドストンだったのである。
世界中の他の地域と同様に、東アジア地域でも、大英帝国が軍事力にものを言わせてどんどん強引に植民地化を推し進めていることに反対する言論があった。しかし、それでもグラッドストンはイギリス議会政治家の頂点にいた人物だから、そんなに生易しくはない。老獪(ろうかい)極まりない人物である。ディズレーリが保守党でタカ派で、グラッドストンハト派で平和主義者だ、などと簡単には言えない。現実政治家の中で狡猾さを極める彼らに甘えた庶民的な感情などない。
グラッドストンは、表面上の大枠から言えば、現在で言うところのアメリカ民主党の政治家たちのようなリベラル派、穏健派、人権擁護派の政治家の走りとして有名である。それは、「遅れた地域の原住民たちにあまり手荒なことをするな」という姿勢である。この対外的なソフト路線がイギリス国民の支持を集めた。あるいは逆に時流に乗らなかったりする。生来の保守派や、意地汚ないまでに実利を追求する大貿易商人たちからは、「そんな生温いやり方では英国(即ち自分たち)の利益を守ることは出来ない」と非難を浴びる。
    ・
グラッドストンは大きく言えば、ハト派(平和派)である。世界中でイギリスが占領した国々で、あまり軍事衝突を起こさないことを望んだ。
世界各国の原住民たちの伝統的な統治体制にあまり軍事的な圧力をかけずに、手荒な暴力の行使を控えて出来るだけ穏便にやる方がいい。原住民や属国の政治勢力と武力対決しないで、話し合いで紛争を処理して、イギリスの世界管理を全うするのが、賢明な策だ。そういう政治思想を生きて実践した政治家である。その方が結局、金もかからなくて済む。自分の言うことを聞かない原住民たちを力で押えつけても、結局、反乱と反抗は絶えることはない。そう見切った上での、平和的な妥協点を探るという大人の態度である。