じじぃの「神話伝説_18_神功皇后」

卑弥呼 神功皇后 第一話 我の父は日本武尊 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dY2MVab2OIw
神功皇后肖像の切手

神功皇后 ウィキペディアWikipedia)より
神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年 - 神功69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのみこ)で、母は天日矛裔・葛城高ぬか媛(かずらきのたかぬかひめ)。彦坐王の4世孫、応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。弟に息長日子王そして妹に虚空津姫と豊姫あり。
三韓征伐を指揮した。

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『日本神話の謎を楽しむ本』 鎌田東二/監修 PHP研究所 2012年発行
神功皇后 亡き天皇に代わり海外遠征を成し遂げた皇后 (一部抜粋しています)
日本の皇后のなかで、もっともエネルギッシュで、男顔負けの活躍をしたのが、神功皇后(オキナガタラシヒメ)である。第14代仲哀天皇(タラシナカツヒコ)の皇后で「記紀」では神懸(かみがか)りとなって神託をもたらすなど、巫女的性格を持った女性として描かれている。
仲哀天皇熊襲遠征に同行した皇后は、軍議の場で神懸りとなる。ここで皇后が発した信託は「西方に金銀財宝に満ち溢れた豊かな国がある。これを与えよう」というもので、新羅遠征を促すものであった。ところが、天皇はこれを信じなかったばかりか、神を偽者と断じたため、神の怒りにふれて没してしまった。
神功皇后が再び神意を問うべく神懸りとなると、「皇后のお腹に宿る子がこの国を治めよ」と言い、その神は住吉の三前大神であると名乗った。この神はイザナキの禊(みそぎ)によって生まれた、ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツノオであるという。
そこで皇后は住吉神社を守り神として朝鮮半島新羅渡航した。新羅の国王は、神の助けを得た皇后の船団を見ただけで恐れをなして服従し、隣国の百済もこれに倣(なら)った。こうして朝鮮遠征は成功裏に終わる。
この新羅遠征については、朝鮮半島や中国の史料に記述がないことから、史実ではないという説が有力である。ただし、4世紀に刻まれた高句麗好太王碑に倭の軍勢が百済新羅を下したという内容が記されており、当時日本人による積極的な朝鮮進出が行われていた様子がうかがえる。