じじぃの「人の死にざま_1389_シドニー・ファーバー」

がんの化学療法〜外来で夢の治療が可能に?〜 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=cE-jfMKjTZo
シドニー・ファーバー

ダナ・ファーバーがん研究所 ウィキペディアWikipedia)より
1947年、医学博士のシドニー・ファーバーは小児がん研究所を設立した。1969年がん患者の対象年齢を成人にまで拡大。1974年、設立者に敬意を評してシドニー・ファーバーがん研究所として知られるようになる。

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Sidney Farber Wikipedia より
Sidney Farber (September 30, 1903 - March 30, 1973) was an American pediatric pathologist. He is regarded as the father of modern chemotherapy, after whom the Dana-Farber Cancer Institute is named.

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『病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘 上』 シッダールタ・ムカジー/著、田中文/訳 早川書房 2013年発行
化学療法の新しい友人 (一部抜粋しています)
動物での「治療」に勇気づけられて、ファーバーは1955年、アクチノマイシンDのヒトのがんに対する効果を調べる一連の臨床試験を開始した。残念ながら、アクチノマイシンDは小児白血病には効果がなかったが、ファーバーは動じず、さまざまながん――リンパ腫、腎肉腫、筋肉腫、神経芽腫――の小児患者、計275名に投与した。それは薬剤師にとっては悪夢のような臨床試験だった。アクチノマイシンDはきわめて毒性が強かったために生理食塩水で何倍にも薄めなければならず、血管からほんの少し漏れただけで周囲の皮膚が壊死して黒くなった。血管の細い小児ではしばしば、頭皮の静脈ラインから投与された。
この初期の臨床試験で反応があったのは、珍しい種類の腎臓がん、ウイルムス腫瘍だった。小さな子供で見つかることの多いこのがんに対する治療は、腫瘍のできた腎臓を摘出する外科手術が中心で、術後には腎床部にX線が照射された。しかしすべての症例がそうした局所治療の対象となるわけではなかった。なかには腫瘍が見つかった時点ですでに転移――多くは肺に――している症例もあり、その場合には治療はやっかいで、X線の照射とさまざまな薬による治療が試みられたが、持続的な効果が得られる望はほとんどなかった。
静脈投与されたアクチノマイシンDが肺に転移した腫瘍の増殖を抑制し、何ヵ月も続く寛解(かんかい)をもたらすことを発見したファーバーは、強い興味を覚えてさらに突き進んだ。X線とアクチノマイシンDがどちらも単独でウイルムス腫瘍の転移巣を攻撃できるなら、2つを組み合わせたらどうだろう? 1958年、ファーバーは若い放射線医のカップル、ジュリオ・ダンジオとオードリー・エヴァンス、それに腫瘍医のドナルド・ピンケルをこのプロジェクトの担当にした。数ヵ月のうちにチームは、X線とアクチノマイシンDがたがいの効果を何倍も高め、きわめて共力的に作用することを確かめた。すでにがんが肺に転移した患者にこの併用療法をおこなった結果、しばしば著効が得られたのだ。「約3週間で、転移が広がっていた肺がすっかりきれいになった」とダンジオは回想する。「私たちがどれほど興奮したか想像してみてごらん。初めて自信たっぷりに”治せます”と答えたんだからね」
その興奮は伝染した。X線と化学療法の併用によっていつも長期的な効果が得られたわけではなかったが、ウイルムス腫瘍は化学療法が効いた初めての転移性固形腫瘍だった。ファーバーはついに、長いあいだ待ち望んでいた飛躍を、血液のがんの世界から固形腫瘍の世界への飛躍を成し遂げたのだ。