じじぃの「人の死にざま_1365_早坂・文雄」

羅生門 予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MJDeh7uod3M
雨月物語」予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VwsnTi7dQmQ
早坂文雄

早坂文雄 ウィキペディアWikipedia)より
早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 1955年10月15日)は、日本の作曲家である。宮城県仙台市出身。
【生涯】
1948年、《ピアノ協奏曲》(1948年)が「第11回東宝グランド・コンサート 日米現代音楽祭」で初演される。1949年(昭和24年)、第3回毎日映画コンクールにおいて、「酔いどれ天使」「富士山頂」「虹を抱く処女」の映画音楽で音楽賞を受賞する。翌1950年も「野良犬」で同賞を受賞。同年、東宝を離れ、「映画音楽家協会」を設立する。1951年(昭和26年)、音楽を担当した黒澤明監督の「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、その音楽も大きな話題となる。
早坂はピアノ曲管弦楽曲室内楽曲、映画音楽の分野で作品を残している。特にピアノ曲は全創作期に渡っている。また映画音楽の分野では「羅生門」「七人の侍」他の黒澤明作品、「雨月物語」などの溝口健二作品など数多くの作品の音楽を手掛けた。また、『日本的音楽論』(1942年)の著書があり、多くの作品評・作曲家論(清瀬保二・諸井三郎など)も残している。

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『映画でクラシック』 西村雄一郎/著 新潮社 2007年発行
平安朝に、なぜ<ボレロ>なのか? ――『羅生門 (一部抜粋しています)
スタンリー・キューブリックが、クラシックが大好きな映画監督の西の横綱とすれば、東の横綱は何といっても黒澤明である。2大巨匠の音楽に対するアプローチの仕方はよく似ていた。映画音楽を依頼する際、「こんな感じの曲を作ってくれ」とクラシックのレコードで提示する点、さらにそれによって作曲家といさかいになる点は全く同じである。
黒澤映画の音楽を担当した作曲家は時代ごとに変わっているが、黒澤の音楽に対する異常なまでの探究心と要求を受け入れ、それを見事に具体化してくれたのは、作曲家・早坂文雄である。2人は1948年に『酔いどれ天使』で出会い、以後、49年『野良犬』、52年『生きる』、54年『七人の侍』と、まさに世界映画史に残る傑作を続々と生み出していく。そのなかでも特にクラシック音楽が重要な役割を果たした作品が、ヴェネチア映画祭でグランプリを受賞した50年の『羅生門』だった。
平安時代、森のなかで起こった暴行事件に関して、当事者たちの証言がすべて食い違う。暴行した野盗・多襄丸(三船敏郎)、暴行された女・真砂(京マチ子)、それを眼前にした夫・武弘(森雅之)、事件全体を目撃した 杣売り(志村喬)。言葉はこれら4人が語るエピソードにしたがって、楽器の種類が変えられ、細かく丁寧に付けられている。
最も話題になったのは、2番目の真砂の供述シーンの音楽だった。それは全編ボレロの形式で流されている。ボレロとは4分の3拍子のリズムをもったスペインの舞踏音楽。それがラヴェル作曲の管弦楽曲ボレロ>にあまりにも似ていたために、各国で論議を呼んだ。フランスのラヴェルの楽譜出版元からは、「剽窃ではないか」と苦情まで舞い込む始末。しかしそれは似ていて当然なのだ。『羅生門』のボレロの音楽はラヴェルの<ボレロ>がモデルであったからだ。
「私の耳には、脚本で女主人公のエピソードを書いている時、すでにボレロのリズムが聞こえていた。そして、早坂にそのシーンのために、ボレロを書いて欲しいと頼んだ」
黒澤は自伝『蝦蟇の油』のなかで、そう告白している。その”早坂ボレロ”が完成し、音楽を入れるダビングの段になった。「ボレロが一段と高らかに唄い始めた時、突然、映像と音楽はぴったり噛み合って、異常な雰囲気を盛り上げ始めた」と続けている。