じじぃの「人の死にざま_731_E・サティ」

エリック・サティ - あのひと検索 SPYSEE
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Je te veux 〜 Eric Alfred Leslie Satie 〜 Philippe Entremont 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Cxa1ciP5Ht8
ERIK SATIE: Nocturne No.2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=umXE3t7SXNc&feature=related
エリック・サティ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Alfred Leslie Satie、1866年5月17日 - 1925年7月1日)は、フランスの作曲家。
「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称され、西洋音楽に大きな影響を与えたとみなされている。ドビュッシーラヴェルも、その多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだと公言しており、印象主義の作曲家たちにも影響を与えた。
パリ音楽院在学中にピアノ小品『オジーヴ』『ジムノペディ』『グノシエンヌ』などを発表。カフェ・コンセール『黒猫』に集う芸術家の1人となり、コクトーピカソと交流。バレエ・リュスのために『パラード』を作曲。またカフェ・コンセールのためのいくつかの声楽曲を書く。今日よく知られている『ジュ・トゥ・ヴー』はこの時の曲。薔薇十字教団と関係し、いくつかの小品を書く。同一音形を繰り返す手法を用いた『ヴェクサシオン』『家具の音楽』なども書いた。
なお『家具の音楽』というのは彼が自分の作品全体の傾向を称してもそう呼んだとされ、主として酒場で演奏活動をしていた彼にとって客の邪魔にならない演奏、家具のように存在している音楽というのは重要な要素であった。そのことから彼は現在のイージーリスニングのルーツのような存在であるともいえる。
また、『官僚的なソナチネ』『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』『冷たい小品』『梨の形をした3つの小品』『胎児の干物』『裸の子供たち』といったように、作品に奇妙な題名をつけたことでも知られている。

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『そこはかとなく』 新井満/著 河出書房 1997年発行
引き算芸術の時代――エリック・サティを聴きつつ (一部抜粋しています)
エリック・サティという名前を初めて耳にしたのは10年前のことであった。この名前を聞いた当初、私は一人の美しく清楚な女性をイメージしたのだが、期待は見事に裏切られてしまった。サティとは、世紀末のパリに生き、モンマルトルの居酒屋でピアノを弾きながら数々の伝説的な奇行を重ね、59歳で死んだ男性の作曲家だったのだ。山高帽子に鼻眼鏡の黒服姿で、晴雨にかかわらず常に黒いこうもり傘を持ち歩き、生涯独身で貧乏だった。
そのサティが27歳の時に作曲したピアノ曲が『ヴェクサシオン』である。
弾いてしまえば1分足らずで終る小品だが、こともあろうに彼はこの楽譜に「840回繰り返して演奏せよ」という指示を書き入れていた、実際に演奏してみると、飲まず食わずで18時間40分もかかったという。
生前のサティはドビュッシーラヴェルなど同時代の音楽家は無論のこと、ピカソ、コクト、ピカビア、マン・レイなど多くの芸術家たちに絶大な影響を与えたらしい。にもかかわらず、音楽史的には全く忘れ去られ、異端の二流作曲家とさげすまれて今日に至った。
ところがここ数年、レコード、映画、テレビ、出版、ビデオ、演劇などあらゆるジャンルで降って湧いたようなサティ・ブームである。なぜか? 耳に入るが決して意識して聴いていない音楽、すなわち机や椅子や壁紙のようにひかえめな”家具の音楽”を作ったからである。つまりサティは環境音楽創始者だったのだ。そして今ではジョン・ケージ武満徹ブライアン・イーノ坂本龍一、ウインダムヒル・レーベルの一派など最前衛を行く世界的な音楽家たちのとって、その遠い出発点を語る時には避けて通れない重要な存在にまでなってしまった。
さて、作曲の方法論には大別して2種類あると私は考えている。”足し算”と”引き算”である。
ワーグナーやベートーベンのように楽器や音符を限り無く足し算することによって、音楽的小宇宙ともいうべき大伽藍を構築し、聴く者にふるい立たせるような感動を与えようとするのが前者。後者はその反対で、楽器や音符を限りなくマイナスすることによって、深山に囲まれた湖のような音楽的余白を生み出し、いつのまにか聴く者を静寂の空気で包もうとする。サティはこの点景である。空気中に漂うゴミを一個一個つまんでは取り出そうとするように、彼は余計な楽器や音符を次々にマイナスし、もうこれ以上引き算しようのないギリギリの音楽を最後にポンと提示する。
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引き算の芸術表現が今、なぜ新鮮に感じられるのか?
ある時、サティは画家の友人にこんなことを言ったという。
「ねえ。レジェ、皆、自分のしたいことをちょっとやり過ぎると、君は思わないかい?」
時代があまりにも足し算的で息がつまりそうだから、ひかえめな引き算的表現に出会うと、かえって新鮮で、ほっと感じられるのかもしれない。

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