じじぃの「人の死にざま_259_ドビュッシー」

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Claude Achille Debussy (1862-1918) Les papillons Sandrine Piau 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=zX19eeE_AVI
『1冊でわかる クラシック音楽ガイド』 後藤真理子/著 成美堂 2007年出版
ドビュッシー (一部抜粋しています)
「言葉が途絶えたところから音楽は始まる」
ドビュッシーは詩や絵画にも深い造詣(ぞうけい)を示した作曲家だった。マラルメの「火曜会」に出入りし、ボードレールヴェルレーヌ、ピェール・ルイスの詩に作曲し、代表作≪牧神の午後への前奏曲≫はマラルメへのオマージュである。
「沈黙」にも意味があると考えたマラルメにならい、ドビュッシーは「言葉が途絶えたところから音楽は始まる」と語り、音楽によって言葉では表現しえないものを喚起させることを目指したのだ。こうした姿勢は象徴主義詩人たちと相通じるものがある。
また、ドビュッシー印象派の代表的作曲家といわれる。絵画ににおける印象派は、それまで主流であった「古典−ロマン」派を乗り越えるために「つかの間の印象をすばやく記録」しようと努め、物語性や情緒ではなく直観と感覚を重視した。画家たちが記録しようとした「束の間の印象」は、音楽にあっては言葉と言う表現形式に変換不可能な心象ということができる。
ドビュッシーが目指したものは「心象の喚起」であったが、そのことが例えばポーの小説『アッシャー家の崩壊』のオペラ化を試みながら失敗し、完成したオペラは≪ペレアスとメリザンド≫ただ1作であることと関係深いと思える。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
ドビュッシー (1862-1918) 55歳で死亡。
「牧神(ぼくしん)の午後への前奏曲」などで知られるドビュッシーは直腸ガンのため、1915年以来何度もラジウム療法を受けた。しかし経過ははかばかしくなく、徐々に病み衰えた。
そのころ彼は友人に手紙を書いた。「もし、クロード・ドビュッシーが音楽をつくれないとすれば、もはや生きている理由はない」
1918年3月、パリはドイツ軍の爆撃と放火の下にあった(第一次世界大戦)。瀕死のドビュッシーは何度も地下室を変えなければならなかった。
3月25日午後、彼はついに昏睡状態におちいった。
ジャン・レピーヌの言葉をかりれば「あのように多くの和音を溶かした手、あのように多くのとらえがたい美を作り出した長い美しい彼の手は、無限の深淵の端に、なおも幾時間か身を支えようとするかのように、力なく敷布を握りしめていた」
やがて夜が来た。そして物凄い爆撃の響きにパリ全市が覆われている午後10時、フランス近代音楽の巨星クロード・ドビュッシーの脈搏は絶えた。
葬式には約20人の人々が棺についていっただけで、彼らは燃えているパリの町をかなりの距離にわたって、西から東へ通過しなければならなかった。

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