じじぃの「人の死にざま_273_R・シュトラウス」

リヒャルト・シュトラウス - あのひと検索 SPYSEE
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Elektra R. Strauss Liceu 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=_xAKjR_-Tp0
リヒャルト・シュトラウス フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス1864年6月11日-1949年9月8日)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家である。交響詩とオペラの作曲で知られ、また、指揮者としても活躍した。
ウィーンのヨハン・シュトラウス一族とは血縁関係はない。
【音楽の変化と発展】
1905年にオスカー・ワイルドの戯曲のドイツ語訳に作曲した『サロメ』(Salome)を初演すると、空前の反響を呼んだ。ただし、聖書を題材にしていることや、エロティックな内容が反社会的とされ、ウィーンを始め上演禁止になったところも多い。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場がこの作品を上演した時などは、終演後の聴衆の怒号の余りの激しさにたった1回で公演中止になったほどであった。マーラーら、当時の作曲家達はその音楽の前衛性に深く共感し、シュトラウスはオペラ作曲家としての輝かしい第一歩を踏み出した。
シュトラウスの次のオペラは『エレクトラ』で、前衛的手法をさらに徹底的に推し進めた。多調の多用、不協和音の躊躇なき使用などを行い、調性音楽の限界を超えて無調音楽の一歩手前までに至った。この作品はシュトラウスが詩人フーゴ・フォン・ホーフマンスタールと協力した最初のオペラでもある。この2人はホーフマンスタールが亡くなるまで、音楽史上も稀に見る実り豊かな共作を続けていくことになる。

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『すべては音楽から生まれる』 茂木健一郎/著 PHP新書 2008年発行
あの静かな没我の様子〜R・シュトラウス/歌劇≪エレクトラ (一部抜粋しています)
「この街の人は、本当に音楽を愛しているのだな」
ある年のウィーンで、私は、この思いを強くした。
場所は、楽友協会ホール。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠であり、この中の「黄金のホール」で毎年元旦に行われる、ウィーン・フィルニューイヤーコンサートでもよく知られる場所である。
このホールは、よくヴァイオリンの名器にたとえられる。
というのも、木造のホール自体が「共鳴箱」としての機能を持つように設計されているからだ。床は2重構造に、天井は共鳴するよう、宙吊りに。すべては音楽のために、である。
この「黄金のホール」で、ウィーン・フィルの演奏を聴く機会は、非常に限られている。ニューイヤーコンサート、もしくは定期演奏会。または、5、6月の「ウィーン芸術週間」の定期演奏会場が、この楽友協会になる年の場合のみ。
ある年、私はその幸運を得た。とはいえ演奏会当日に、チケットを持たずに会場へ直接行ってのことだったので、座席券はない。立見席(シュテープラッツ)の券を5ユーロで手に入れた。
立見とはいっても、会場との間には仕切りがあり、きらびやかなホールの中もオーケストラの姿も、いっさい見えない。パーテーションの向こうから、演奏だけが聞こえてくるのである。
そこには、カジュアルな服装をした人や学生風の若者など、多くの人がいた。彼らは、背中を壁にもたせかけたり脚を伸ばしたりして、思い思いのくつろいだ自由な恰好で床に座っていた。
しかし彼らは、演奏会の間中、身じろぎ一つしなかった。どこかこの世ではないところにいるような、穏やかで満ち足りた表情で、うっとりと目を伏せ、一心に音を聴いていた。見渡せば、シュテープラッツの客は皆、同じような雰囲気である。
人々は、音楽を鑑賞するというよりも、耳をすましているのだと思った。
指揮者やオーケストラが見えなくても、かまわないのだ。豪奢なホールでなくても、華やかな聴衆の中にいなくても、全く問題などない。ただひたすらに、女神の気配を感じている。一身に美を浴びている。音楽と交わっている。
ああ、この人たちは本当に音楽を愛しているんだな、と思った。それは発見であり、感動だった。
教養や見栄のためなのではない。なんの衒(てら)いも気負いも、余計な装飾もない。日々のごく自然な、しかし不可欠なものとして、音楽を愛している人たち。ごく一場面ではあるが、彼らの生活に直に触れたことで、ウィーンが「音楽の都」と称される意味が身をもってわかったような気がする。あの街には、そんな空気が、確かにあった。
翌日、国立歌劇場(シュターツオパー)へ行った。演目は、リヒャルト・シュトラウス作≪エレクトラ≫。多調と不協和音が連続する、ギリシャ神話をもとにした復讐譚である。ハリー・クプファーによる演出だった。舞台の中央に立つ、非劇の発端を象徴する巨大な像を巡って、歌い手たちは愛憎に満ちたドラマを繰り広げる。だが、立見席からは、舞台はほとんど観ることができない。
私の隣には、黒いドレスで着飾った上品な年配の女性がいた。彼女は、舞台上で繰り広げられる劇を無理に観ようとはせず、この濃密で壮大な物語を、まさに、聴いていた。静かに耳をすまして。
あの静かな没我の様子に、音楽の原点を観る思いがした。
劇場で訪れる奇蹟のような時間は、間違いなく一つの福音であり、古代ギリシャへとつながる精神の道である。

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