じじぃの「人の死にざま_1062_G・ガーシュウィン」

ラプソディー・イン・ブルー ガーシュイン 吹奏楽 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MVXzFx7DBUg
George Gershwin - Summertime 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=K6DI6ysDemk
ジョージ・ガーシュウィン ウィキペディアWikipedia)より
ジョージ・ガーシュウィンGeorge Gershwin、1898年9月26日 - 1937年7月11日)は、アメリカの作曲家。ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍し、「アメリカ音楽」を作り上げた作曲家として知られる。通称『完璧な音楽家』。
【略歴】
出世作となったのは、作詞家アーヴィング・シーザーとの共作になる1919年の歌曲「スワニー」で、人気歌手アル・ジョルソンに気に入られて彼が繰り返し歌ったことからヒットし、人気ソングライターとなる。
1920年代以降は、作詞家となった兄アイラ・ガーシュウィンと組んで、レビューやミュージカル向けに多くのポピュラー・ソングを送り出した。ガーシュウィン兄弟によって作られ、後年までスタンダード・ナンバーとして歌われている歌曲は『私の彼氏(The Man I Love)』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などをはじめ、おびただしい数に上る。
クラシックにも取り組み、1924年には『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)を発表。オーケストレーションにファーディ・グローフェの協力を得て、ジャズとクラシックを融合させたこの作品は「シンフォニック・ジャズ」の代表的な成功例として世界的に評価された。
その後独学でオーケストレーションを学び、いくつかの管弦楽作品を残した。そのひとつ『パリのアメリカ人』(An American in Paris、1928年)もよく知られている。
舞台作品の数は50曲にのぼり、その中でオペラは2曲、ミュージカルが50曲、映画音楽は4曲しか残されていない。管弦楽曲は7曲を作曲している。室内楽曲は2曲のみ。ピアノ曲は10曲。歌曲は500曲も残されている。

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林修今でしょ!講座 「夏休み特別講座3本立てSP」 2014年7月29日 テレビ朝日
【MC】林修 【講師】葉加瀬太郎 【学友】カンニング竹山オアシズ劇団ひとり平野綾中島健人
ガーシュウィン
20世紀初頭、アメリカでは「ジャズ」という音楽が発達した。
ジャズはアメリカに奴隷として連れて来られた黒人が作った音楽で、葉加瀬太郎ドビュッシーが作った和音を使ってアフリカのリズムと組み合わせてできた音楽だと話した。そんな中、ジャズピアニストだったガーシュウィンは、オーケストラの曲「ラプソディ・イン・ブルー」を作曲した。彼の死後10年経つといろいろな音楽を組み合わせたロックンロールをエルヴィス・プレスリービートルズが生み出した。しかし葉加瀬太郎は全てはバッハから繋がっていると話した。
http://www.tv-asahi.co.jp/imadesho/backnumber/0009/
『クラシックがしみる!』  許光俊/著 青弓社 2012年発行
青春のガーシュウィン (一部抜粋しています)
ごく平凡な人間ですらもが、ある一瞬、自分でも思いもよらぬ輝きを帯びてしまうこと。たとえば、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『ばらの騎士』にはそれが確実に表現されている。とりわけ個性的でもなければ、優秀でもないけれど、青春ゆえに眩しい若人と、青春を過ぎた自分をなかなか受け入れられない夫人の痛ましい対比をシュトラウスは実に巧みに描いた。私はこのオペラが10代の時から好きだったけれど、最近はことさらに胸にしみる。
ジャーコモ・プッチーニもまた、青春を忘れられなかった作曲家のひとりだ。青春群像そのもの『ラ・ボエーム』は当然のこととして、『マノン・レスコー』も『蝶々夫人』も『トゥーランドット』も、若いがゆえの一途な思い込みの物語である。プッチーニのオペラでは、若い主人公の願いが無惨にも破綻する様子が何度も描かれた。おそらく、それこそが彼にとって生涯のと言ってよいような重大なテーマだったのだろう。
けれども思うに、このふたりにもまして「青春」という言葉がぴったりくる音楽を書いた作曲家がいる。ジョージ・ガーシュウィンだ。確かに『ばらの騎士』や『ラ・ボエーム』はすばらしく美しく切なく青春を描いてみせたけれど、それが可能だったのは、作曲家たちがもう青春を通りすぎていたからだった。彼らは過去を振り返り、2度と戻ってこない時代への愛情を込めて作品を書いたのだ。それに対して、ガーシュウィンの主要作は20代半ばで書かれた。『ラブソディ・イン・ブルー』は26歳、『ピアノ協奏曲ヘ調』はその翌年の作品である。この年齢で生涯の代表作を完成させてしまった大作曲家は限られる。
私は特に『ピアノ協奏曲』が好きだ。この曲には、ちょっとグリーグラフマニノフの協奏曲のような趣がある。もしガーシュウィンが「クラシック」の作曲家のひとりだとしたら、その理由は一にも二にもこの作品の存在によるに違いない。こうしたジャンル分けは、何につけずいぶんゆるい基準を持つ現代の私たとはともかく、かってはことさら重要視されたものだった。
ガーシュウィンがいわゆる芸術音楽らしい曲を作るために理論書を買い込み、ずいぶん(お)勉強したことはよく知られている。たとえそうであっても、彼の個性はあまりにも鮮明である。喜怒哀楽の驚くほどの直截さといい、まったく無防備な素直さといい、楽想の大胆な転換といい、瞬間的な情熱への投入といい、めくるめくような進行といい、あたたかい血がどきどくと注ぎ込まれたような濃い旋律といい、ガーシュウィン以外の誰にも書けなかった音楽だ。高峰を一気に駆け上がるようなエネルギーの燃焼は、もちろん20代半ばの作曲家だからこそだろうが、もしかしたらそれこそがガーシュウィンの最高の価値かもしれないとすら私は思うのだ。これほどまでに無造作に自己のすべてをあらわにし燃やし尽くそうとする作曲家がヨーロッパにいただろうか。ガーシュウィンは40歳にならずに死んだが、このような音楽を書く人間であればそれも自明と思える。青春が奇跡だとしたら、この作品にもその奇跡と同様のはかなさが強く漂っている。
私がよく聴くのは、ピアノをフィリップ・アントルモンが弾き、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が伴奏した録音だ。ともかくオーケストラが抜群にいい。滅法うまいが、名技が空回りしない。実にのびのびしていて、潔い。これしかあり得ないだろうという熱っぽさがいい。言っちゃ悪いが、これに比べれば演奏するヨーロッパ音楽など、お上品ぶった借り物に思えてならない。
しかし、これはまったく微妙なことなのだが、この見事な作品には、習い覚えたような気配がまったくないとは、やはり言えない。いわゆる「協奏曲」らしい姿を取るために、妙に力こぶが入ったところがある。たとえば第3楽章など、いかにも伝統的な協奏曲のフィナーレにふさわしいロンドっぽい趣を作ろうとしてはいないだろうか。

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