じじぃの「人の死にざま_1345_渡辺・力」

化学療法と耐性菌 渡辺力/著

  

分子遺伝学への道 - J-Stage
●日本での初期微生物遺伝学
東京大学に応用微生物研究所(応微研)が生まれたのは官制上1953年8月である。
前年国会の解散があったため、予定より1年おくれての発足であった。当初は4研究部門が設立されたが、その中に遺伝・育種部門があった。部門または講座名として微生物遺伝の看板をかかげたのは日本で最初である。当時阪大では、吉川教授の下で若手研究者が微生物遺伝に手をつけ始めたところであった。
また、京大の木原門下の小関(現京大理)、由良(現京大ウイルス研)らは渡米して微生物遺伝の研究を始めつつあった。
東京では予防衛生研究所の水野研究室で富沢(現NIH)がファージに手をつけようとしていた頃で、日本では未知の分野であった。
慶応大学の渡辺(力、故人)突然変異説を主張して、ときには両教室の主任教授まで参加して数回にわたる討論があったのを記憶している。どちらも論拠は十分で、きわめて興味深い討論であった。
薬剤耐性の適応説は、英国のHinshelwoodが1950年すぎまで主張しつづけていた。
しかし、Lederbergの編書『Microbial Genetics』では突然変異説に軍配を上げている。
1943年カナダのNewcombは、T1ファージを撒いた寒天培地上にファージ感受性の大腸菌を拡げ、数時間培養して菌が数十倍に増殖したと思われる時点でもう一度菌を拡げ直した。
これをさらに10時間以上培養したのち、T1耐性集落の出現数を数えてみると、拡げ直しをしなかった場合のT1耐性集落数に比べて数十倍であった。これは、T1との接触と無関係に耐性突然変異が起こり、それらが拡げ直しまでの間に増殖していたことを示す。
適応説では説明がつかない。
またLuria、 Delbruckは1943年fluctuation testという方法で、ファージ耐性菌が突然変異により出現することを示している。これは、ファージと接触させないで多数のサンプルを培養し、それぞれのサンプル中の耐性菌数を数えるときわめてバラツキが多いので、突然変異がランダムに起こったことを示しているという報告である。
Ryan教授は滞日中、大腸菌の増殖が止まった定常期にも突然変異が起こるという研究をされ、桐谷がその助手として小さな試験管を数百本も並べてfluctuation testを行なっていた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/22/9/22_9_560/_pdf
多剤耐性菌
●細菌は攻勢に出た〜多剤耐性菌の出現〜
1956年、予防衛生研究所(現感染症研究所)の北本修博士の報告によると、香港帰りの赤痢の患者さんから分離された赤痢菌が、その頃治療現場でよく使われていた抗菌剤、サルファチアゾール、ストレプトマイシン、テトラサイクリン、クロランフェニコルに同時に耐性になっているというのです。これを多剤耐性といいます。
http://www10.ocn.ne.jp/~fukasawa/Rfactor.html
『カラー図解EURO版 バイオテクノロジーの教科書・上巻』 インハート・レンネバーグ/著、小林達彦/監修、田中暉夫・奥原正國/訳 ブルーバックス 2014年発行
プラスミド――遺伝物質を運ぶ最適なベクター (一部抜粋しています)
赤痢が流行した1955年、国立予防衛生研究所(現:国立感染症研究所)の北本修が3種類の抗生物質に耐性になった細菌シゲラ(Shigella:赤痢菌)の1菌株を単離した。その後、抗生物質の利用の増加に伴い、種々の抗生物質に耐性の細菌(多剤耐性菌)が出現してきたという証拠が次々に出てきた。細菌が抗生物質の攻撃に耐えるだけでなく、その特室を別の細菌に伝達し、受け取った細菌は抗生物質を不活性化するように(抗生物質耐性)になったのである。
1960年、渡辺力(慶応大)がその謎を解いた。プラスミドは小さな環状のDNA(3000〜10万bp)で、それよりもずっと大きい染色体DNAとは細菌細胞内で独立して存在する。プラスミドをもつ細菌には、平均、1細胞当たり50〜100個の小プラスミドと1〜2個の大プラスミドが存在し、その大部分は互いに非依存的に細胞内で増えていく。
大プラスミドと小プラスミドは共存する場合としない場合がある。大プラスミドをもつ菌が他の菌と接触すると菌間に架橋(性線毛)が形成され、プラスミドを菌から菌へ移動(接合)しうる場合があるが、小さいプラスミドをもつ菌にはこの性質はない。小プラスミドDNAそのものは抗生物質耐性を直接細菌に与えるのではなく、抗生物質を不活性化する酵素(例:テトラサイクリン不活性化酵素やペニシリナーゼ)の産生を制御している(なお、シゲラとは異なる細菌では、線状プラスミドの存在も報告されている。例えば、一部のストレプトマイセス族放射菌のプラスミドは環状ではなく線状)。
米国スタンフォード大学のプラスミドの専門家、スタンレー・コーエン(Stanley N. Cohen, 1935 - )は、プラスミドを遺伝物質の運び屋、すなわち、ベクターとして利用できることを初めて示した。何らかの外来遺伝子をつなげることができれば、プラスミドは別の”鳥の巣”(細菌細胞)の中に、”卵”(外来DNA)を産む”カッコウ”としての役割を果たせるというのである。