じじぃの「人の生きざま_386_内海・桂子」

内海桂子 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%86%85%E6%B5%B7%E6%A1%82%E5%AD%90/19057
桂子・好江 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Dv9I45VFbOs
内海桂子師匠著『悩むヒマありゃ、動きなさいよ!』PV 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LvNPm2ePG_w
内海桂子 ウィキペディアWikipedia)より
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子、1922年9月12日 - )は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。血液型はA型。
弟子の内海好江と約半世紀に亙って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 97年)を組み、人口に膾炙して大御所に君臨。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(現:日本映画大学)の専任講師も務めた。
【一門】
・1950年当時人気絶頂の初代内海突破にあやかって、勝手に『内海』の屋号を名乗っていたが、その後突破が低迷する反面桂子・好江の人気が出たため、突破の方から「桂子・好江はワシの弟子なんや」と言い出し、その結果内海一門の客分に迎えられた。従って獅子てんや・瀬戸わんやは弟弟子に当る。
・直弟子に笑組、ナイツ等が居る。俳優志望だったウッチャンナンチャンの2人も、横浜放送映画専門学院在学中に桂子から漫才転向を勧められ、その後マセキ芸能社の後輩となったため、事実上弟子扱いされている。

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『逢えてよかった!』 永六輔/著 朝日新聞社 1995年発行
内海桂子さん――常にノートをとる姿に頭が下がる (一部抜粋しています)
内海桂子・好江コンビは45年のキャリア。桂子さんは好江さんを育て、好江さんは育てられてきたことを認める。
「好江は利口にばかのメッキがしてあります。私の利口のメッキはすぐにはげるけど、好江のメッキははがれません」。桂子さんがそう言い切るところが、また、桂子さんの偉さでもある。
小学生2年中退という学歴とはいっても、桂子さんの勉強ぶりは、専門家はだしで、常にノートをとる姿には頭が下がる。
辛酸をなめてきた人生の強みは、一人の講演会でも十分に発揮されて、客席は泣いたり笑ったり、感動のうずになる。
女優業も随筆家もこなして、漫才以外の活躍でも忙しく、もちろん、師匠として厳しく若手を育て、ウッチャンナンチャンもしごかれた。
ひたすらまじめなおばあさんかと思うと、恋を貫く若さも秘めている。
ある刑務所の講堂で、受刑者と目をあわせないようにという規則があるのに、桂子さんは一人ずつゆっくり優しく見つめた上で一言つぶやいた。
「おっかさんだよ」
それだけで受刑者一同が泣き出してしまった場面に立ちあったことがある。
話芸というより、身につけた演出といった方が良いだろう。

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内海桂子 Google 検索
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