じじぃの「人の死にざま_1076_倉田・百三」

倉田百三 - あのひと検索 SPYSEE
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倉田百三歎異抄に魅せられた人々》
http://www.shinrankai.net/2009/07/tannisyou.htm
倉田百三出家とその弟子|解説と本文(一部) 近代名著ガイド
倉田百三(1891〜1943)の戯曲。大正5年(1916)、同人誌『生命の川』に発表。翌年岩波書店刊。
親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、『歎異抄』の教えを戯曲化したもの。
恋愛と性欲の相克という問題が率直に示されており、多くの感動をよんできた。英語、ドイツ語、フランス語、中国語に訳され、ロマン・ロランの激賞を受けている。
http://kindai.sk46.com/taisho/shukke.html
倉田百三 ウィキペディアWikipedia)より
倉田百三(くらたひゃくぞう、1891年(明治24年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月12日)は、大正、昭和初期に活躍した日本の劇作家、評論家。
【来歴・人物】
広島県庄原市出身。1891年(明治24年)、呉服商の長男として生まれる。他は姉と妹ばかりで男児は百三ただ一人であった。西田天香の一灯園で深い信仰生活を送る。
広島県立三次中学校(現広島県立三次高等学校)入学、卒業。生涯の友となる香川三之助と出会う。
第一高等学校へ進む。在学中に一高の文芸部の機関誌に寄稿した論文(『愛と認識との出発』等)が一高内の自治組織による検閲の結果、不適切な単語が含まれるとの理由から鉄拳制裁が行われる事となるが、21歳で肺結核を発症したため鉄拳制裁に耐え得る身体ではなく、死を予感して寄宿寮を脱する。一高では退寮はすなわち中退であった。
以後40余歳まで闘病生活が続く。また、神経症を患い、森田正馬の治療を受けている。病床で執筆活動を続け、『出家とその弟子』や『愛と認識との出発』など生命力みなぎる青春文学を世に送り出した。また、日蓮宗への傾倒から国家主義者の側面も持っていた。 満51歳没。

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大河の一滴 五木寛之/著 幻冬舎 1998年発行
出家とその弟子』のちょっとした対話 (一部抜粋しています)
このエピソードがあらわにしているのは、こういうことではないでしょうか。仏教とか、ひとつの思想とか学問に大事なことは、その理論だけではない。たとえば人間の<魂>のありよう、あるいは情熱、その人間の至心(ししん)――、<まことのこころ>(まごころ)といいますが――、そういうものが伝わっていくことがじつは大事なのであって、必ずしも言葉で言いあらわされた細かい理屈だけを頭で理解することではないのだ。
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理論だけなら書物を読めばいいわけです。しかし、書物からは伝わらないことがある。あるいは、理屈ではない大事なものが人間の肉声にはある。顔の表情にもある。声にもある。そういうものを感じとっていく。理解するだけでなく、感じとっていく。このことも人間にとっては大事なのだ、と、あらためて思い起こさせてくれるような佐伯定胤(法隆寺の住職)さんのエピソードです。
ですからぼくは、人間が向き合ってその声を聞き、手を触れ、肌と肌を接して受けついでいくものの大きさを、片方ではすごく大切にしたい、と思うのです。
また一方で、活字から、あたかも面授を受けているかのごとき印象を受ける場面もあります。
何年か前に、ふと倉田百三という作家の『出家とその弟子』という本を読んでみたい、と思ったことがありました。自分も戯曲を書いていましたから、『出家とその弟子』というたいへん高名な作品を読んでいないのは恥ずかしい、ぜひそれを読んでみたいと思ったのです。
しかし、倉田百三という名前は、いまそんなにみんなの記憶にとどまっている名前ではありません。『出家とその弟子』という題名も、かってはたいへんセンセーショナルな題名だったでしょうが、いまの文芸評論家たちは、わりあい簡単に、感傷的な宗教文学、などとひと言でやりすごしてしまいます。この大正6年に若い倉田百三が書いて岩波書店から出版された『出家とその弟子』は、当時の青年たちのあいだに大変なセンセーションを巻き起こし、大ベストセラーとなりました。
しかし最近はほとんど忘れられかけているような本ですから、書店でもすぐには手にはいらないだろうと思いました。国会図書館に行けばあるのかな、と思いながらも一応、念のため書店に行って探しました。たいへん意外なことに、すぐ手にはいったのです。岩波文庫新潮文庫と簡単に手にはいったので、ちょっとびっくりしました。
本には奥付というのがあって、いちばんうしろの一ページに、その本がはじめて出されたとき、改訂版が出たとき、その版がいつ印刷されたか、発行者がだれであるか、細かく書いてあります。
この奥付を見ると、昭和2年岩波文庫にはいって、延々と版を重ね、最近でも、88刷とか、大変な刷数がそこに書かれているわけです。ということは、昭和2年からずうっと読みつづけられてきて、いまも毎年毎年、版を重ねているということになります。
一方、新潮文庫のほうは亀井勝一郎さんが解説を書き、昭和25年に新潮文庫に収録されています。それから平成8年まで79刷という刷数が重なっている。これにも驚きました。
岩波文庫にしても新潮文庫にしても、ほとんどあまり文芸評論家たちの話題にならないような『出家とその弟子』という作品が、じつは大正6年から平成の現在まで延々と読みつづけられてきて、日本列島のいろんなところで地下水のように『出家とその弟子』を読みつづけていた水脈があったということに、ぼくは非常に感動しました。

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