じじぃの「人の生きざま_374_フレデリック・バック」

フレデリック・バックさん…死去直前に「かぐや姫」鑑賞 2014年1月14日 YOMIURI ONLINE
昨年12月24日、カナダ・モントリオールの自宅で、がんのため死去したアニメーション作家のフレデリック・バックさんは日本のアニメーションにも影響を与えた。
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/gnews/20140114-OYT8T00832.htm
フレデリック・バック - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF/43180
Crac! Frederic Back 1981 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xsWU-nksQWA
L'Homme qui Plantait des Arbres - 1987 - Frederic Back 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=7Rn6trL3-54
スタジオジブリ高畑勲監督『かぐや姫の物語』に大きな影響を与えているアニメ界の巨匠フレデリック・バック 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=QSZwRHETptY
フレデリック・バック高畑勲監督

フレデリック・バック ウィキペディアWikipedia)より
フレデリック・バック(Frederic Back, 1924年4月8日 - 2013年12月24日)は、カナダのモントリオールのアニメーション作家である。アカデミー短編アニメ賞を2度受賞した。
【来歴・人物】
フランスのザールブリュッケン(現・ドイツ領)に生まれる。その後パリに移り住み、音楽家であった父親の影響でピアノの練習に励むが、絵画に興味を持ち始める。1939年にブルターニュ地方のレンヌの美術学校で画家マテュラン・メウに師事する。1948年には文通で知り合った女性に会うためにモントリオールを訪れ、翌年には結婚、移住する。
制作手法としては、主にアセテートの上に画材(色鉛筆、フェルトペン)で描くものが多い。バックの作品の制作期間はどれも長期間に及ぶ。そのため『木を植えた男』(ジャン・ジオノ原作)の制作中には右目を痛めながらも5年の月日をかけて完成させたと言う。1990年にカナダ勲章を授与されている。
また、広島国際アニメーションフェスティバルでのグランプリ受賞などで数回来日しており、高畑勲などの日本のクリエイター達と交流があった。2011年にはスタジオ・ジブリ等の企画による展覧会が日本で開催されている。
2013年12月24日、モントリオールの自宅で死去。89歳没。がんで闘病中であった。
亡くなる直前に高畑勲が自宅を訪れ、高畑の持参した『かぐや姫の物語』を鑑賞したことが、没後に明かされた。

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1億人の大質問!?笑ってコラえて! 2014年1月15日 日本テレビ
【出演】所ジョージ関根麻里芦田愛菜宮本信子朝倉あきキャイ〜ン久保田悠来
ジブリ支局リターンズ!「かぐや姫の物語」について深〜く調べよう
興味津々のスタッフは、番組恒例の支局会議を開くとスタジオジブリ社員の野中さんから驚くべき情報が!!
なんと、高畑監督自ら「かぐや姫の物語」を携え渡米するという!向かった先は、アメリカ・サンフランシスコにあるCGアニメーション会社“ピクサー”。そこで高畑監督を待ち構えていた人こそ「トイストーリーシリーズ」監督&製作総指揮のジョン・ラセター!さらにもう一人…大緊張の面持ちで高畑監督に挨拶する大男は映画「リトル・ミスサンシャイン」でアカデミー賞を獲得した脚本家マイケル・アーント!「高畑勲がいなければ、今の自分はいない!」とまで言い切る彼。そんな世界の超一流アーティストに対して開かれる「かぐや姫の物語」上映会…そのリアクションは?
だが、高畑監督が「かぐや姫の物語」を本当に見せたかった人はカナダにいた…その人と高畑勲の30年の絆…スタジオが号泣した二人のラストとは…
http://www.ntv.co.jp/warakora/next/20140115.html
1月15日 日本テレビ 『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』より
ジブリ支局リターンズ!「かぐや姫の物語」について深〜く調べよう】
高畑勲が影響を受けた人物がいる。12月16日、高畑勲はカナダ・モントリオールを走っていた。その人に会うためだ。
実は、アメリカ大陸に来た真の理由もピクサーではなかった。その人物に会うためだった。
その人物の名はフレデリック・バック。二度もアカデミー賞を受賞経験を持つ、いわばアニメーション界の至宝。彼こそ高畑勲が影響を受けた男だ。
1981年、「リトル・ニモ」の仕事を放り投げてアメリカでぶらぶらしていた高畑勲は、偶然映画館でフレデリック・バックの作品短編映画「クラック!」を観た。「クラック!」は一家が辿る運命に家族愛、失われつつある文化を独自のやさしいタッチで描き、1981年アカデミー賞短編アニメーション賞を受賞した。
1987年、フレデリック・バックは二度目のオスカーを「木を植えた男」で受賞した。
荒れた土地に植樹を続ける男によって森が再生し、やがてその地が豊かに発展していくさまをスケッチのような柔らかいタッチですべてが描かれ、絵の中に余白を生かした名作だ。自然と人間との調和、それを柔らかなタッチで描くフレデリック・バックの作品に共感を覚えた高畑監督はその後の作品に自然と人間を描いたフレデリック・バックに強い影響を受けている。
高畑監督、「バックさんに啓発されて作った作品なんだから、彼に観ていただきたいとずっと思ってきた」
フレデリック・バックに会った高畑監督、「会えて本当に嬉しいです。無理を言いまして。どうしても観ていただきたくて」
フレデリック・バックはこの8日後、亡くなった。2013年12月24日、フレデリック・バック 永眠 享年89歳。

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