じじぃの「人の死にざま_1327_フレデリック・ライネス」

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[ScienceNews2013]宇宙のなりたちに迫る ニュートリノ研究の新たな一歩 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=cW9yM-18Uvw
フレデリック・ライネス

ニュートリノ振動で宇宙がわかるわけ 2011年07月15日 科学コミュニケーターブログ
ニュートリノ振動で宇宙がわかるわけ
6月15日、日本のニュートリノ研究グループが世界で初めて、「電子型のニュートリノ出現現象の兆候をとらえた」としてニュースになっていました。研究しているのは日本人ニュートリノ研究者を中心とする「T2K実験」の人たち。
この発見は、宇宙を構成する物質の謎にせまります!
と言われても、どうしてそうなるのかピンときません。
そもそもニュートリノって?
http://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/20110715post-39.html
フレデリック・ライネス ウィキペディアWikipedia)より
フレデリック・ライネス(Frederick Reines 、1918年3月16日 - 1998年8月26日)は、アメリカ合衆国の物理学者。
【人物】
1953年から原子炉で発生したニュートリノをクライド・カワンとともに検出する実験を行った。ニュートリノ電荷を持たないので、検出は困難であり、ライナスらは陽子・中性子に衝突させて荷電粒子による蛍光を捕らえる方法をとった。ニュートリノの発生源は最初核爆発実験の直下に置いて実験することも検討したが実現しなかった。1953年に原子炉の炉心から2mほどの位置に検出装置を置き、原子炉の運転によって信号の増えることを確認した。1954年から大型の装置をつくり、ニュートリノの発生頻度を計測し、理論で予測されていたニュートリノの存在を証明した。

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『宇宙になぜ我々が存在するのか 最新素粒子論入門』 村山斉/著 ブルーバックス 2013年発行
恥ずかしがり屋のニュートリノ (一部抜粋しています)
1898年にラザフォードが放射線には3種類あることに気がつき、それぞれ、アルファ線ベータ線ガンマ線と名づけました。調べていくと、ベータ線の正体は電子であることがわかってきたのです。
ところが、ベータ線についてさらに詳しく調べて、ベータ線が出る前と後のエネルギーを比べてみると、ベータ線が出た後のエネルギーの方が少なくなっていたのです。
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そのような状況で、1人だけ、みんなと違うことをいう人がいました。ヴォルフガング・パウリです。パウリは「確かにエネルギーが減っているように見えるけれども、これはきっと見かけのことで、本当は、エネルギーが保存されているに違いない」という仮説を立てたのです。
ここで彼がいい出したのは、実は見えない粒子があるというものでした。ベータ線が出た前と後ではエネルギーが保存されているように見えないけれど、実は、見えない粒子が発生していて、それが逃げ出してしまったために、見える部分だけを足しあわせてもエネルギーが足りないと感じるだけであると説明しました。
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皆さんは、まだ見つかっていない粒子なのだから、名前がなくなっても困ることはないだろうと思うかもしれませんが、1人だけ、とても困った人がいました。この目に見えない新しい粒子の理論を一生懸命考えていたイタリア人のエンリコ・フェルミです。
彼は、パウリの予言した粒子について研究して、論文を書こうと思っていましたが、粒子の名前がなくなってしまってはそれもできません。そこで、新しい名前をつけることにしたのです。そして考えられたのがニュートリノという名前でした。中性子は英語でニュートロンといいます。そこに「小さいもの」という意味を表すイタリア語の接尾語、イーノをつけてニュートリノとしました。赤ちゃんのことを「バンビーノ」とよぶのはご存じかもしれませんね。ニュートリノという名前は、中性子のように「電気的に中性でとても小さい粒子」という意味になるのです。日本語では昔は中性微子と訳していましたが、今ではそのままニュートリノとよんでいます。
パウリが予言した見えない粒子は、めでたくニュートリノという名前がついたわけですが、この粒子は当のパウリ自身も、いくら実験しても見つからないだろうと思っていたくらい、探すのが難しいものでした。何しろ、ニュートリノは恥ずかしがり屋なので、なかなか捕まえることができないからです。
ところが、やはり実験家はすばらしいもので、がんばって実験をして、ニュートリノを発見することに成功したのです。ニュートリノを発見したのはアメリカのフレデリック・ライネスとクライド・カワンの2人です。
まず、2人は、どうやったらニュートリノを捕まえられるかを考えました。ニュートリノベータ崩壊から予言されたものなので、原爆の実験をしている場所のそばで実験すればいいのではないかと考えました。しかし、検討していくうちに、原爆実験のそばは危険だということになり、その代わりに、原子力発電所のそばで実験をすることにしたのです。
何度もいっていることですが、ニュートリノはほとんどのものを通りぬけてしまうお化けのような粒子です。2人は、そのニュートリノを探す実験装置に、幽霊が関係している心霊現象という意味のポルターガイストという名前をつけたのです。つけた名前がよかったのかどうかはわかりませんが、2人は1954年に初めてニュートリノが本当に存在するという証拠をつかみました。
それが見つかった瞬間、2人は喜んでパウリのところへ「俺たちはニュートリノを捕まえた」と電報を送りました。パウリはその報告を受けて、ちゃんとシャンパン1ケース分の小切手を送ったそうです。パウリがニュートリノ仮説を発表してから実際に見つけるまで、実に24年の歳月が費やされたわけです。