じじぃの「人の生きざま_326_戸塚・洋二」

戸塚洋二先生のご逝去を悼む 2008/07/15 東京大学 大学院理学系研究科・理学部
さる7月10日午前2時50分、本学の特別栄誉教授である戸塚洋二先生がご他界された。葬儀は7月12日に青山葬儀所において各界多数の参列を得て行なわれ、故人の人望を忍ぶものであった。
戸塚洋二先生は、静岡県富士市のご出身で、本学理学部物理学科を卒業され、大学院理学系研究科では小柴昌俊教授の指導のもとで神岡鉱山の地下で宇宙線のミュー束の研究をされ理学博士を取得された。戸塚先生と神岡の関わりはこの時からである。
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/info.html?id=1250
戸塚洋二 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%88%B8%E5%A1%9A%E6%B4%8B%E4%BA%8C/31256/profile
戸塚洋二さんとブログ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vTHx6lqXgDU
スーパーカミオカンデ Super Kamiokande 4/4 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=d4wUP9FSKCY
ノーベル物理学賞梶田隆章氏 スーパーカミオカンデニュートリノ研究に 2015年10月6日 ITmedia ニュース
梶田氏はニュートリノ観測施設「スーパーカミオカンデ」(岐阜県飛騨市)でニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動を確認し、1998年に発表していた。
ニュートリノの質量発見でノーベル賞候補とされていた、梶田氏が学んだ戸塚洋二・元東大宇宙線研究所所長は2008年に死去した。梶田氏は追悼文で「非常にたくさんのことを戸塚先生から学び、いくら感謝してもしきれない思いです」と述べていた。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1510/06/news121.html
PRESIDENT WILLIAM J. CLINTON MIT News Office
First, we must help you to ensure that America continues to lead the revolution in science and technology. Growth is a prerequisite for opportunity, and scientific research is a basic prerequisite for growth. Just yesterday in Japan, physicists announced a discovery that tiny neutrinos have mass. Now, that may not mean much to most Americans, but it may change our most fundamental theories -- from the nature of the smallest subatomic particles to how the universe itself works, and indeed how it expands.
まず、アメリカは科学技術の革命をリードし続けていることを確実にするためのお手伝いをしなければなりません。成長の機会のための前提条件であり、科学的な研究は、成長のための基本的な前提条件である。ちょうど昨日、日本で、物理学者は、小さなニュートリノが質量を持っていることを発見したと発表しました。それが拡大するか確かに、最小の素粒子の性質から宇宙そのものがどのように機能するかに、そして - 今、それはほとんどのアメリカ人にあまり意味がないかもしれないが、それは私たちの最も基本的な理論を変更することがあります。
This discovery was made, in Japan, yes, but it had the support of the investment of the U.S. Department of Energy. This discovery calls into question the decision made in Washington a couple of years ago to disband the super-conducting supercollider, and it reaffirms the importance of the work now being done at the Fermi National Acceleration Facility in Illinois.
この発見は、日本では、作られていますが、米国エネルギー省の投資のサポートを有していた。この発見は、問題に超伝導SuperColliderを解散するために数年前にワシントンで行われた決定を呼び出し、それは今イリノイ州フェルミ国立加速施設で行われている作業の重要性を再確認する。
http://web.mit.edu/newsoffice/1998/clintonspeech.html
戸塚洋二 ウィキペディアWikipedia)より
戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年3月6日 - 2008年7月10日)は日本の物理学者。東京大学特別栄誉教授。静岡県富士市出身。
【経歴】
1995年には神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年からは東京大学宇宙線研究所長。翌1998年、スーパーカミオカンデニュートリノ振動を確認しニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した。
2001年に起きたスーパーカミオカンデ光電子増倍管の70%を損失する大規模破損事故の責任をとり、東京大学を辞職した。翌2002年には高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所教授となった。2003年より2006年まで同機構長。
2008年7月10日、直腸ガンのため死去(66歳没)。2002年のノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊の愛弟子の1人だった。小柴は文藝春秋2008年9月号に寄稿した追悼文集「弟子の弔辞を読む痛恨」において、戸塚の告別式での弔辞で「あと18ヵ月、君が長生きしていれば、国民みんなが喜んだでしょう」と、ノーベル賞受賞を期待されながらの死去を惜しんだ事を明かしている。

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ニュートリノでわかる宇宙・素粒子の謎』 鈴木厚人/著 集英社新書 2013年発行
ニュートリノ天文学」の扉を開いたカミオカンデ実験
初代カミオカンデ実験の計画は、1979年に小柴先生の発案によって始まりました。巨大な実験装置を地下に建設しなければいけないのですから、このプロジェクトはまず場所の選定が容易ではありません。
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結局、最終的に行き着いたのが神岡鉱山でした。こちらは、過去に小柴先生が宇宙線の実験を行った実績があります。このプロジェクトの一員であった戸塚洋二さんと須田英博さん(いずれも故人)が、60年代の後半に、神岡鉱山の地下500メートル程度の深さで宇宙線が大気中で作ったミュー粒子を捕獲する実験を行ったことがあるのです。
ミュー粒子は電子とよく似た性質の素粒子で、「一次宇宙線」として地球に飛び込む陽子やヘリウム原子核が大気にぶっかって生じる「二次宇宙線」の1つ。この粒子もほかの物質とあまり反応しない性質があるので、岩盤をシールドすることによってバックグラウンドを減らし、検出しやすくなるのです。
しかしカミオカンデ実験では、このミュー粒子もバックグラウンドになります。それをブロックするには、もっと深いところに潜らなければなりません。私たちは、神岡鉱山の中でもいちばん深い、茂住鉱の山頂下1000メートルで実験を行うことに決めました。
場所が決まったことで、「カミオカンデ」という実験装置の愛称も決まりました。
ニュートリノに質量はあるのか
スーパーカミオカンデでは、たとえタウニュートリノが入ってきてもそれを検出することができません。宇宙線から作られるタウニュートリノはエネルギーが低く、水中での反応によってタウ粒子を作ることができないからです。電子ニュートリノは電子、ミューニュートリノはミュー粒子が発するチェレンコフ光をキャッチすることで検出されますが、タウニュートリノはそれがないので、測定器を素通りしてしまう。つまり、ミューニュートリノがタウニュートリノに変身したとしても、それは「消えた」ようにしか見えないわけです。
そして、この観測データは、ニュートリノ振動の理論から予想される値と見事に一致していました。
ミューニュートリノがタウニュートリノに変わると考えたときの期待値とほとんど同じだけ、ミューニュートリノが欠損していたのです。これはもう、ニュートリノ振動によるものだと考えて間違いありません。
1996年からデータ収集を始め、わずか2年後の1998年に日本で開催されたニュートリノ国際会議で、この研究結果を発表しました。スーパーカミオカンデは、世界で初めてニュートリノ振動を検出すると同時に、ニュートリノに質量があることも初めて明らかにしたのです。その業績は、国内外の新聞で大きく報じられました。発表直後には、当時の米国大統領ビル・クリントンマサチューセッツ工科大学で行った講演の中で、この発見に言及したほどです。
ニュートリノの質量をゼロとしていた素粒子の標準理論に修正を迫ったこの発見は、ノーベル賞級の業績でした。実際、関係者の誰もが、いずれリーダーの戸塚洋二さんがノーベル賞を受賞するだろうと信じていました。
しかし、たいへん残念なことに、それを待つことなく、2008年に66歳の若さで亡くなられました。告別式のの弔辞では小柴先生が「あと18ヵ月、君が長生きしていれば、国民みんなを大喜びさせてくれたでしょう」と述べられました。

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戸塚洋二 物理学者 Google 検索
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