じじぃの「人の死にざま_1299_ベティ・フリーダン」

RetroBites: Betty Friedan: Men (1964) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qfgxHKli9CU
ティー・フリーダン みんなの翻訳
ティーフリーダン(1921年2月4日 - 2006年2月4日)は、アメリカ人フェミニストであると同時に、活動家、作家でもあり、自らの著書 "女らしさの神話"(邦題『新しい女性の創造)を通じて一般的にフェミニズムの”第2の波”として知られている活動を始めたことでよく知られています。
http://trans.trans-aid.jp/viewer/?id=3370
フェミニズム ウィキペディアWikipedia)より
フェミニズム(英: feminism、女性主義)は、性差別を廃止し,抑圧されていた女性の権利を拡張しようとする思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い。フェミニズムは、近年、リベラル・フェミニズムと、ラディカル・フェミニズムとが対立している。フェミニズムの思想は多様であり、一本の思想と考えることはできない。
フェミニズムを主張する人のことをフェミニストと呼ぶ。
【歴史】
フェミニズムの起源は18世紀のフランスに遡る。1789年にフランス革命により人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)が採決されたが、その権利を男性にのみ与えていることを問題視した女性が抗議運動を行い、欧州各地で女性の権利を求める運動が定着した。これがフェミニズムの誕生である。
20世紀には「結婚して子供を持つ郊外住宅の主婦」が女性の憧れの的とされた。この背景には戦中に若い男性がいない為に工場で労働に従事していた女性を家庭に入れようとするアメリカ政府のプロパガンダがあった。日本も例外ではなく、戦中は男性不足のため若い女性は工場で軍需産業などの労働に就いていたが、戦後はアメリカ型の専業主婦となることが幸福と思う者が、特に日本女性には多かった。
しかし、家庭に戻った女性の中には結婚し子供を育てるだけの人生に不満を持つ者もいた。フェミニストの1人である ベティ・フリーダンは『女らしさの神話』の中で当時の女性の心境を語っている。

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お茶の水女子大学特別講義 世界を変えた10人の女性』 池上彰/著 文藝春秋 2013年発行
ベティ・フリーダン(Betty Friedan) (一部抜粋しています)
私の頃は、女性が4年制大学に入るというのは極めて珍しい時代でした。私が通った高校は東京都立の一般的な進学校です。男女ともほぼ100パーセント進学しましたが、4年制の大学に行く女性はごくわずか。多くの女性は短大に進みました。というのも、4年制の大学へ行ったら就職口はない、女子短大だったら引く手あまたですよ、と言われていたからです。短大なら100パーセント就職できました。
しかし、就職と言ってもこの場合は、あくまで男性社員の補助職としての採用です。丸の内の大手企業が女性社員を採用するときは、男性の面接官が「うちの男性社員のお嫁さんとしてふさわしいかどうか」という観点で採用していたといいますから。みなさん信じられないでしょう?
しかし、それが当たり前の時代でした。それが大きく変わった。そのきっかけを作った人、それがベティ・フリーダンです。というふうに聞くと、じゃあちょっとどういう人か学んでみようかという気になりませんか? まさに1人の女性が世界を変えました。
さあ、そのベティ・フリーダンは、1921年アメリカのイリノイ州で生まれます。1938年、マサチューセッツ州にある名門女子大スミスカレッジに入学しました。
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女性が結婚して家庭に入ると自分を見失い、1人の女として、あるいは1人の人間として自己実現を目指すのではなく、夫や子供を通して自己実現しようとし始める。自分たちが感じている何とも言えない虚しさは、高学歴ゆえではなく、妻として母として期待される女の役割に忠実なあまり、自分の人生を生きていない空っぽさにあると、ベティ・フリーダンは1963年に指摘したのです。
この『新しい女性の創造』(原題 『The Feminine Mystique(女らしさの神話)』)を書いたことによって、彼女は全米で引っ張りだこになります。あちこちの講演会に呼ばれます。得体の知れない不安感を抱えた同じような女性が、いかに多かったかということです。
このことを通して、彼女はいつしか女性解放運動のリーダーに祭り上げられていきます。たまたま「今の世の中の女性たちが抱えている虚しさの正体はいったいなんだろう」ということを書いたことによって、結果的に女性が声を上げる運動のリーダーになったということです。
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ベティ・フリーダンは何を遺したのでしょうか。例えば日本では、「男女共同参画社会」というのがあります。「男女共同参画社会基本法」という法律を作り、企画段階から一緒になって、すべてのことを男女が共同でやっていく社会にしましょうという取り組みが行われています。
さらにはその前には、「男女雇用機会均等法」(1986年施行)という法律ができました。これが日本社会においては、非常に大きな意味がありました。罰則規定がないザル法だという批判もありますが、これ以降、女性の採用が拡大しました。
企業でも、女性を幹部候補生として採用するようになっています。でも、どうなんでしょう。女性の総合職の実態はまだ見えていません。建前としては男女平等ということになっていますが、「ガラスの天井」という表現があります。
ガラスの天井というのは、社長まで続くキャリアの怪談を男たちが上がっていく一方で、女性の頭上を遮る見えない天井があって、実際にはそれ以上行けないようになっているという比喩です。この言葉は、男女平等を達成したかに見えたアメリカで1980年代に生まれました。
日本でも建前では女性に「将来は会社のトップになる、そんなコースもありますよ」と言っているけれど、実は途中で同期の男性に比べて少しずつ出世が遅れ、ある程度まで行ったらそこから先には行けない「ガラスの天井」があるかもしれない。
ベティ・フリーダンが働きかけをしたことによって、先進国では性差による差別的な雇用というのができなくなっています。でも、見えにくくなっているだけかもしれない。

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