じじぃの「がん(ガン)のことをいろいろ考える・その2!女ひとりがんと闘う」

しゅんさん/肺腺がん(キャンステメッセージ) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=_4LezhPAnDA
腺癌
腺癌は腺管への分化を示すもの、あるいは粘液産生が認められる悪性腫瘍と定義されます。
・腺房腺癌
・乳頭腺癌
・細気管支肺胞上皮癌
・粘液産生充実癌
http://www.m.chiba-u.ac.jp/class/haibyo/WHO/adeno.html
直木賞作家・山本兼一さん死去 2014年2月13日  YOMIURI ONLINE
火天の城」「利休にたずねよ」など骨太の歴史小説で知られた直木賞作家の山本兼一さんが13日午前3時42分、京都市内の病院で、原発性左上葉肺腺がんのため死去した。57歳だった。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20140213-OYT8T00903.htm
『女ひとりがんと闘う』 アンリ菅野/著 青春出版社 1999年発行
先生、本当にその治療法しかないの? (一部抜粋しています)
その夜は11時頃に就寝した。
しかし、夜中の2時頃に、異様な気配に突き動かされてガバッと飛び起きる。ゾーッとするような気分がして目覚めてみると、冷や汗がビッショリ。あんなに汗をかいて目覚めることはないから、すごいショックだった。
不快な感触に捕らわれて下腹部をみると、堰が切れたように血が流れ出し、寝具が血に染まっているのだった。おびただしい量だ。パジャマはビッショリ、まっ赤っ赤である。いつもの生理の時に出てくる血の色ではない。テラテラと黒みを帯びて恐ろしい。
本当にこれが私の体内から出てきたのだろうか。ガン細胞の死骸、そして食い荒らされた私の細胞の死骸がドロドロととぐろをまいていた。
     ・
放射線を当て始めて10日か15日くらいに、さすがの私も食欲が落ちて、まるで食べられない。そして、食べる量が半減して退院するまで続く。果物、特にぶどうや梨など水分の多いものがおいしく感じる。
私は普通の人より体力があるから、順応性が高いのだろうか。同じ病室の人からはあまり病人みたいじゃないと言われた。でも、後から友人に聞いたら、別人のように元気がなかったということだった。
食欲がない時も、私は気楽に構えていた。
例えば風邪を引いたとき、よく”食べなければ駄目だ”という。しかし、病気の時は内臓も衰えているのだから、食べられないのなら無理をして食べない方が良いと思う。食べ物が入ってくれば胃腸も働かなければならないのだから。そういう時には消化の良いものにするとか、量を少なくするとか、身体に対する思いやりを持つべきだ。
食べなければいけない! と思い込む方がストレスになる。身体の声に耳を傾け、身体に素直にならなければ、私は、食べられないとき、身体の言うままに気楽に構えていたのが良かったのだろうか。
     ・
放射線治療は、20回過ぎると火傷の症状がでてくる。私の場合は遅かったと先生がおっしゃっていたが、腸に近いところだったので外泊中も下痢がひどくて大変になった。
23回目くらいで、柔らかい部分の火傷が悪化した。毛が抜けちゃうし、陰部から肛門までがひどい火傷になる。当然、生理も止まっちゃう。
先生からも、
「今後は、たぶん生理はないでしょう」
と言われた。
放射線というのは、すぐに結果が出てくるわけではない。ジワジワ出始めるので、放射線治療を終了後も入院して経過を見る。放射線をかけているときも大変だが、むしろ終わってからの方が苦痛だ。
終了後の2週間というもの、かゆいわ、痛いわ。初めは”痛い”が多かったが、”かゆい”もズキーッとかゆくて辛い。いくらかうゆても、掻けるところではないし、掻いてはいけない。
     ・
お手洗いに行くのがこんなにも大変なのか。膀胱も、直腸も被曝しているのだから、抑制がきかなくて何回も行く。夜は1時間半おきに、尿意と便意をもよおして目が覚める。だから、3時間とか4時間とか眠れるようになった時は、本当に嬉しかった。
「あー、4時間眠れた」
紙などがさわると飛び上がるくらい痛いのだから、1ヵ月くらいはウォシュレットがないトイレにはいけなかった。最後の10日間は「座浴」をする。拭いても洗っても痛いのだから、お尻だけをお湯につけて超音波で洗浄してもらう。
下半身が傷ついているから、排泄が我慢できない。くしゃみなんかすると、大も小も漏れてしまう。1時間ごとにトイレに行かなければならない。行けば行ったで、その度に痛いんだもの。下痢をしたりすると、さらに大変だ。漏れやすくなるだけでなく、刺激的な液が出てくるから、ヒリヒリする。しみるなんてなまやさしいものではない。

                            • -

どうでもいい、じじぃの日記。
私は先日病院の検査で、「直腸にがんもどきの腫瘍」がある、といわれた。
図書館でがんに関する手記を探していたら、アンリ菅野著 『女ひとりがんと闘う』という本があった。
この本にはこんなことが書かれていた。
「子宮に近い膣の裏側、直腸と隣接する部分に、多分、4センチくらいのガンがあります。腺ガンです。それと腸骨と左大腿部の深部に血栓があります。早急に手術しないと危険です」
「調べた結果、血栓があるので手術はあまりにもリスクが大きい。血栓のために死亡することもありうるので、放射線で治す計画を立てることにしました」
「腺がん」とは初めて聞く名のがんだ。
この本の著者は1999年7月にがん宣告を受け、病院で放射線治療を受けて、11月に退院した。
しかし、ネットで調べたら、2000年6月に亡くなっていた。51歳だった。
放射線というのは、すぐに結果が出てくるわけではない。ジワジワ出始めるので、放射線治療を終了後も入院して経過を見る。放射線をかけているときも大変だが、むしろ終わってからの方が苦痛だ」
手術も大変だが、放射線治療も大変だなあ。