アウンサンスーチー - あのひと検索 SPYSEE
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アウン・サン・スー・チーさんへのインタビュー(BBC,FNN,PBS,CNN) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rKUHM7oMEng
★アウン・サン・スー・チーの実像 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Q6-brDHx9e0
アウンサンスーチー ウィキペディア(Wikipedia)より
アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi (Burmese).svg)。1945年6月19日 - )は、ミャンマーにおける非暴力民主化運動の指導者、政治家。現在、連邦議会議員、国民民主連盟中央執行委員会議長。京都大学名誉フェロー(2013年)。 オックスフォード大学名誉博士(1993年)。ノーベル平和賞受賞(1991年)。
ビルマの独立運動を主導し、その達成を目前にして暗殺された「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍の娘である。
日本での報道では「スー・チー」「スー・チーさん」などと表記されることもあるが、原語では姓名の区別なく「アウンサンスーチー」と一語で表記する。
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『お茶の水女子大学特別講義 世界を変えた10人の女性』 池上彰/著 文藝春秋 2013年発行
アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi) (一部抜粋しています)
「田中真紀子ドーナッツ論」というのがあります。彼女に近づかば近づくほど、好感を持つ人が減る。その様子を、真ん中が空洞のドーナッツに喩(たと)えているわけです。
アウンサンスーチーさんも日本で見ていると、素晴らしい人に見えます。ミャンマーの国民に愛されている。NLD(国民民主連盟 National League for Democracy)の党員や若者たちにとっは崇拝の対象です。広く愛されているのは事実なのですが、直接会ったことのある人に言わせると、お嬢様として育てられたせいか、周りにいる者をみんな、自分の家来か手下、お手伝いさんのように扱う。頑固な性格で、自分の主張を絶対曲げない。そういった点が、田中真紀子を彷彿させるというのです。
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1988年のビルマの場合は、ネ・ウィン政権を支えていた軍部が、ネ・ウィン失脚後も、軍部による政治を続けるという意思を示して権力を掌握。支配勢力の中で権力が移行したというわけです。
しかし、新しい軍事政権も国民の不満を抑えることはできず、総選挙を行うと約束します。民主的な手続きにのっとって選挙をする、と。そこでスーチーさんを中心にした民主化運動の組織ができます。それが(ファイティング・ピーコック=闘う孔雀)をシンボルマークにした国民民主連盟(NLD)です。スーチーさんが党首に選ばれます。
総選挙は、1990年の実地です。ところが前年、軍事政権はスーチーさん率いるNLDが圧勝しそうな勢いだと気づきます。これはまずい、なんとかしなければ、というので、スーチーの全国遊説は国家を危機に陥れる行為であると難題を付け、1989年、彼女を自宅軟禁にしてしまいます。
他の民主活動家たちは、逮捕されると問答無用で投獄されるのですが、軍事政権もスーチーさんに対して、さすがにそれはできない。なんといっても、自分たちビルマ軍の創設者の娘ですから。自宅軟禁とうのは特別扱いなのです。
ただし、自宅軟禁というと、厳しい印象を受けるかもしれませんが、意外にそうでもありません。私はスーチーさんお自宅に入れてもらったことがあります。広大な敷地にバラ園まであり、広い庭園を歩いていれば、運動不足になることはありません。もちろん自宅の外には出られないのですから、不自由であったことは確かですが。
ちなみに、NLDの本部というのは、田舎町にあるような2階建ての長屋みたいな感じのおんぼろ屋敷でした。1階が土間の集会場で、2階にちょっと会議室があるだけ。集会場も十数人入ると、もう人で溢れ返ってしまうような建物でしたね。
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ノーベル平和賞というスポットライトが当たることによって、世界が注目し、その人の民主化運動がやがて実を結ぶということが、あちこちで起きているわけです。
ただ、スーチーさんはノルウェーでの授賞式には出席しませんでした。ミャンマー政府はどうぞ行ってくださいと勧めます。しかし一度出国したら入国させないことはミエミエでした。二度と祖国の土を踏めなくなると考え、スーチーさんは祖国にとどまります。
イギリスで父親と暮らしていた18歳の長男と、14歳の次男が母親の代理として出席し、長男のアレキサンダーが受賞演説をしました。
これは、見事な演説でした。「今日この日、ビルマの人たちは、これまでより少し頭を高く掲げることができるでしょう」と語りかけたのです。独裁政権の下で、ビルマの人たちは大変な思いをしてきた。しかし、今日この日、ビルマの人たちの正義の闘いは世界から認められた、それを誇らしく思う、と。18歳でこれだけのことが言えるのかと、私は感激してその演説文を読んだ記憶があります。
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アウンサンスーチー Google 検索
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