じじぃの「人の生きざま_369_天野・祐吉」

天野祐吉さん死去 「広告批評」「CM天気図」 2013年10月21日 朝日新聞デジタル
広告やテレビ番組の批評で人気を博したコラムニストで、本紙に「CM天気図」を連載した天野祐吉(あまの・ゆうきち)さんが20日午前10時38分、間質性肺炎のため死去した。80歳だった。通夜、葬儀は本人の希望で行わない。
http://www.asahi.com/articles/TKY201310200248.html
天野祐吉 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%A4%A9%E9%87%8E%E7%A5%90%E5%90%89/44745
所ジョージさんの初期の歌を分析する天野祐吉さん 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=McaQltT5MX8
[特別番組] 天野祐吉さん 時代に野次(やじ)を飛ばし続けて 2013年11月4日 NHK
10月20日、広告やテレビ番組の批評で人気を博したコラムニストの天野祐吉さんが亡くなった。享年80。
1979年に「広告批評」(2009年に休刊)を創刊し、商品の宣伝でしかないと考えられていた広告を批評の対象として位置づけ、広告を時代の鏡として一般の人にわかりやすく伝えた。
新聞や雑誌のコラム執筆やテレビのコメンテーターとしても活躍。政治からメディア、芸能まで、ユーモラスな辛口批評で親しまれ、84年から開始した朝日新聞のコラム「私のCMウオッチング」は、90年に「CM天気図」へと改題され、連載1132回に及ぶ名物コラムになった。
http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/tokuban/
天野祐吉 ウィキペディアWikipedia)より
天野 祐吉(あまの ゆうきち、1933年4月27日 - 2013年10月20日)は、日本のコラムニストである。雑誌『広告批評』主宰者、マドラ出版社主でもある。出身地は東京市足立区(現東京都足立区)である。

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週刊現代』 2014年1月11日号
思えば、あれが「死の前兆」だった 天野祐吉 忘れていた記憶が次々に甦ると漏らした 【執筆者】天野伊佐子(妻) (一部抜粋しています)
主人が緊急入院する前のことです。ベッドに横になった主人が天井をジッと見つめながら、「字が見えるんだ」と言うんです。「はっきりとは読めないけど、俺に『解読しろ』と言っているのかもしれない」と。なぜかその時、私は主人が連れて行かれちゃうと感じました。
まさかそれを読んでしまったからかどうかは分かりませんが、その2日後に突然、高熱が出て、入院。それからわずか5日後に夫・天野祐吉は、あっと言う間に旅立ってしまいました。
亡くなる日の朝、先生が集中治療室に入る許可を出してくれました。わずかでしたが、2人きりの時間を過ごせた。その後は、彼は穏やかな顔のまま苦しむこともなく、私の腕のなかで息を引き取りました。
入院したとはいえ、本人に病気の自覚は一切ありませんでした。むしろ「小学3年生の盲腸以来だ」なんて、入院を楽しんでいるくらい。3.11以降、仕事への意欲は増し、体も健康でしたからね。
でも、いま振り返れば、亡くなる半年前から、「前兆」はあったような気がします。戦時中に無理やり歌わされた軍歌など、忘れていた記憶が甦るという不思議な現象があったんです。本人は「(記憶の)引き出しが開いたのかな」と話していましたが、自分の人生と向き合っていたのかもしれません。
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こんなこともありました。主人は、生前からの本人の希望でお葬式もしていないし、お墓もつくりませんでした。荼毘(だび)に付した後、せめていつも一緒にいようと思い、遺骨をペンダントに入れた、その時です。「カバン」というあの人の声が聞こえたんです。
これは何かのメッセージに違いない、と家中を必死に探しまわると、クローゼットの奥のカバンから2年前に書かれた遺言書が見つかりました。生前、「俺は悪運が強いから98歳まで生きると思う」と豪語していましたが、もしものときのために準備をちゃんとしていたんですね。遺言書は「ありがとう。またね」という感謝の言葉で締められていました。

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