じじぃの「人の死にざま_1357_井伏・鱒二」

井伏鱒二 - あのひと検索 SPYSEE
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『黒い雨』 予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MTaSHakSzyQ
井伏鱒二 『さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記』 新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/book/103407/
井伏鱒二 ウィキペディアWikipedia)より
井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年(明治31年)2月15日 - 1993年(平成5年)7月10日)は、日本の小説家。本名は井伏 滿壽二(いぶし ますじ)。広島県安那郡加茂村(現・福山市)生まれ。筆名は釣り好きだったことによる。

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『知識人99人の死に方』 荒俣宏/監修 角川文庫 2000年発行
井伏鱒二 (1898-1993) 95歳で死亡。(一部抜粋しています)
広島県福山の生まれ。福山中学卒業後、早稲田大学仏文科に進み小説を書きだす。日本美術学校にも進学したが両校とも大正12年に退学した。
その後、同人誌『世紀』に発表した「幽閉」は後で改筆され、代表作『山椒魚』[文藝都市S4]となる。昭和13年『ジョン万次郎漂流記』で直木賞を受賞。時々の文学時流に左右されるこちなく創作を続け、『丹下氏邸』『多甚古村』『へんろう宿』『さざなみ軍記』などの佳作を残す。
戦後も『本日休診』『遙拝隊長』『漂民宇三郎』などを書き、『黒い雨』は原爆文学の傑作として国際的にも注目を集めた。その他紀行、随筆、詩にも多くの名品を残しているが、文学論めいた評論のたぐいはほとんど書くことがなかった。40年文化勲章
井伏といえば太宰治との交流が有名だが、その太宰がパピナールの中毒で苦しんでいたときに「僕の一生のお願いだから、どうか入院してくれ。命がなくなると、小説が書けなくなるぞ。怖ろしいことだぞ」と言ったことが「太宰治のこと」[文芸春秋S23・8]に出てくる。
「命がなくなること」は「小説が書けなくなる」「怖ろしいこと」だという認識は、書くことが好きで、90歳を過ぎてからも、「練習、練習」と原稿用紙に向かう日々を続けた井伏らしいものであった。
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平成5年6月24日に肺炎で入院した井伏は、亡くなる2、3日前には意識が混濁し、家族の呼びかけにも「アァ、アァ」と返事する程度であった。長男の嫁亨子によれば、その最後は「今にもしゃべり出しそうな、少し笑っている感じのとても穏やかな死顔」であったという。

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