じじぃの「人の死にざま_372_源氏・鶏」

源氏鶏太 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E9%B6%8F%E5%A4%AA/2592/
SALARYMAN CHUUSHINNGURA 1960 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XAw-87O7QD4
源氏鶏太 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
源氏鶏太(げんじけいた、1912年4月19日-1985年9月12日 )は、日本の作家。富山市出身。旧制富山商業学校(現・富山県立富山商業高等学校)卒。本名、田中富雄。ペンネームの由来は「平家より源氏が好きなこと」と「『鶏』という字が好きで、『鶏太』とすると、昔の武士の名前のようになる」という理由。
【略歴・人物】
1951年「英語屋さん」他で第25回直木賞を受賞する。同作は、通訳専門の嘱託社員として採用された、通称「英語屋さん」と他の社員達との交流を描いた短篇で、実際に住友社内にモデルとなる人物がいた。以降も、ユーモアあるれるサラリーマン物の小説を多数発表し、「サラリーマン小説の第一人者」と呼ばれた。
1956年には作家に専念するため、勤続25年目で会社を退職。1958年より直木賞選考委員。
初期・中期の作品は、大半が映画化またはドラマ化されており、映画化作品は80作を超えている。
特にGHQにより戦前よりの会社の重役陣が退社させされ、本来重役になるべきではない人物たちがサラリーマン重役になったという連作短編集『三等重役』は、「三等重役」という言葉自体を流行させるほどの反響を呼んだ。河村黎吉が社長役、森繁久彌が人事課長役で1952年に東宝により映画化され、ヒット作となった。この映画は、河村の死去したために森繁が社長役となって「社長シリーズ」としてシリーズ化され、東宝のドル箱映画となった。源氏は1961年に、東宝監査役に就任している。

                              • -

『20世紀命日大事典』 蕪木和夫/著 風塵社 1999年発行
9月12日−源氏鶏太 (作家・73歳)
サラリーマン小説で名を上げた人である。
富山商業を卒業後、大阪にある住友合資会社に就職。会社勤めをしながらユーモア小説を書いていたという。
それが新聞の懸賞小説に入選を果たし、23歳の時に源氏鶏太ペンネームで「あすも青空」を発表した。
1951年にはサラリーマン社会の体験を基に綴った「英語屋さん」、「台風さん」で直木賞を獲った。
1956年、会社を辞め作家として一本立ちする。源氏の世界は会社の中の出世をめぐっての人事異動、派閥争いにユーモアを駆使してその人間模様を描いた。
しかし、その後は一転して妖怪、幽霊モノを書くようになった。「口紅と鏡」、「幽霊になった男」で吉川英治文学賞を受賞している。

                              • -

源氏鶏太 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=54iATMvgNIu2vQO31rC1BA&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCwQsAQwAA&q=%E6%BA%90%E6%B0%8F%E9%B6%8F%E5%A4%AA%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1