じじぃの「毬と殿さま!本当は恐ろしいほど残酷な」

民踊 マリと殿様の練習 動画 YouTube
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鞠と殿様   杉田和子 中村浩子 動画 YouTube
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うたってみた『悪魔の手毬唄 動画 YouTube
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『童謡の秘密―知ってるようで知らなかった』 合田道人/著 祥伝社 2003年発行
毬と殿さま 紀州の殿さまに抱かれて旅する毬の正体とは? (一部抜粋しています)
昭和4年(1929年)、雑誌『コドモノクニ』正月号で発表された、
 ♪てんてんてんまり てんてまり・・・
は、当代の人気ナンバーワン歌手で「波浮(はぶ)の港」や「東京行進曲」で知られる佐藤千夜によって歌われ、
 ♪垣根(かきね)をこえて 屋根こえて・・・
の歌詩どおりに、童謡の枠を越えて日本中に広がっていった。
民謡にも似た、中山晋平のわらべ歌風の弾(はず)んだ旋律とリズムは、女の子が毬(まり)をつきながら遊ぶ、いわゆる手毬唄としても長く歌い継がれた。
この歌の歌碑が、和歌山城内に建つ。また城ら出て、ほど近い橋の上には、大きな毬と駕籠(かご)の模型も目にすることができる。
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そんな大名行列が通るたび、街道筋の人々は行列が通り過ぎるまで、地面に座って頭を下げていなければならなかった。よくテレビ時代劇なんかに出てくるシーンである。
江戸時代には身分制度があった。士農工商だ。士、つまり武士が身分的に一番上で、次に百姓、次に職人、商人という順番になっていた。だが、実際のところ武士から下は、みな平民と呼ばれ、武士だけが特別扱いされていた。
武士にはさまざまな特権が与えられていた。そんな中に無礼討(ぶれいう)ちというものが存在した。平民が武士に向かって失礼なことをした場合、その場ですぐに刀を抜いて斬り捨ててもかまわないという決まりである。失礼なことをした場合? それがどんなささいなことでも、失礼に当たってしまうのだ。行列のときなどは、特に顕著だった。
江戸時代末期、すでに倒幕が囁(ささや)かれていた文久2年(1862年)、薩摩藩主の父、島津久光の行列の前をイギリス人が横切って殺傷事件が起こった。世に言う生麦事件である。ペリーが黒船に乗って鎖国に日本にやってきてから9年も経っていながら、まだまだ斬捨御免は罷(まか)り通っていた。
と、なると大名行列華やかなる時代ともなれば、
「下にー、下に!」
のとき、ちょっと頭を上げて行列も見ようとしただけでも、斬り捨てられることだってあった。これは子供とて同様。誤って武士にちょっとぶつかったぐらいだって、無惨に殺されてしまうのである。子供だけではなく、家族の誰かが罪を犯したら親兄弟、親戚まで同罪という連座制まで敷かれていた。だから庶民は、いつもびくびくしていた。
それなのに、この歌はあまりにも、お気楽なのである。
 ♪てんてんてんまりは てんころり
 ♪はずんでお駕籠の 屋根のうえ・・・。
これはあり得ない。あってはならないおとなのだ。当然、毬ついて遊んでいた子供は、お手討ちされていなければいけないし、ひょっとすると父親も母親も一緒にあの世に行っていかなければならなくなる。
いいや、いくら何でもそんな残忍なことはあり得ないだろう。子供が起こした悪気のない間違いじゃないか!
違うのだ! こんな程度でも、許されないのである。立派に斬捨御免の領域なのだ。実際に起きた幼児斬殺の記録はいくつも残されている。
行列が見えてきた。人々はひれ伏す。そのひれ伏した目の前を異様なものがころころ転がった。それは毬だった。そう思った途端、お河童(かっぱ)頭の女の子が飛び出してきた。もちろん毬を拾いに出ていったのである。しかし次の瞬間、侍(さむらい)の大きな声が聞こえた。
「無礼者っ!」
ただひと声だった。刀がキラリと光った。"ばさっ"という音とともに女の子の体が崩れ落ちた。悲鳴すらなかった。肩先から胸に切り裂かれた傷口から、赤い血がただ、どくどくと流れていた。
道中では、こういった事件がたくさん生じていた。そして殺された女の子はというと、丸いお気に入りの毬に変身していたのである。魂が移ったとでも申そうか。
実は当時の毬というもの、今みたいなゴム製ではなく、丸めた綿を芯にして表面を毛糸や糸で覆(おお)ったものだった。さまよう霊というものは、こういった動く動物の毛を大変好むという考え方がなされていた。
大好きな手毬を追っていった女の子は、何の前ぶれもなく理由を聞かされることすらなく、ただばっさりと斬り捨てられた。
「一体、何が起こったのだろうか?」
即死してしまい、痛みさえ分からぬ女の子は、目の前の毬に魂をのり移らせてしまったのだ。
 ♪はずんでお駕籠の 屋根のうえ・・・。
とは、死ぬことにより浮遊した霊が、殿さまより上にいるという状態を歌っていたのである。でなければ、殿さまのお駕籠の上に乗るなんて、あまりにも不謹慎すぎるではないか。
死んだ女の子の心は、毬にのり移って東海道を旅するのである。死んでしまったという意味、いなくなってしまったということを、
 ♪一年たっも もどりゃせぬ
 ♪三年たっも もどりゃせぬ・・・
と著した。戻らないとは、もう2度と帰ってこない、つまり死んでしまったという意味になるのである。

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『毬と殿さま』 作詞:西条八十 作曲:中山晋平.
1. てんてんてんまり てんてまり
   てんてんてまりの 手がそれて
   どこからどこまで とんでった
   垣根をこえて 屋根こえて
   おもての通りへ
   とんでった とんでった
2. おもての行列 なんじゃいな
   紀州の殿様 お国入り
   金紋 先箱 供ぞろい
   お駕籠のそばには ひげやっこ
   けやりをふりふり
   ヤッコラサの ヤッコラ
3. てんてんてんまりは てんころり
   はずんでお駕籠の 屋根のうえ
   『もしもし紀州の お殿さま
   あなたのお国の みかん山
   わたしに見させて 下さいな 下さいな』
4. お駕籠はゆきます 東海道
   東海道は 松並木
   とまり とまりで 日がくれて
   一年たっても もどりゃせぬ
   三年たっても もどりゃせぬ もどりゃせぬ
5. てんてんてまりは 殿さまに
   抱かれて はるばる 旅をして
   紀州はよい国 日のひかり
   山のみかんに なったげな
   赤いみかんに なったげな なったげな

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どうでもいい、じじいの日記。
『童謡の秘密―知ってるようで知らなかった』という本を見ていたら「毬と殿さま」が出てきた。
 ♪てんてんてんまり てんてまり・・・
で始まるあの有名な歌詞である。
手毬唄は各地にあり、話の内容は結構残酷なことが結構多い。歌っている女の子は意味もわからずに歌っている。
この『毬と殿さま』は大名行列があって、その行列の最中に、ころころ毬がころがってきた。「無礼者っ!」。女の子は殺され、殺された女の子の魂は宙に舞い上がった。
 ♪はずんでお駕籠の 屋根のうえ・・・。
手毬唄といえば横溝正史の本に『悪魔の手毬唄』がある。
悪魔の手毬唄』に出てくる歌詞は
 ♪うちの裏の前栽に雀が三羽とまって 一羽の雀が言う事にゃ言う事にゃ・・・
で始まり、一番の歌から順に人が殺されていく。
手毬唄は昔のどろどろした因習が唄として今に伝えられたものである。
手毬唄には昔の残酷な話が凝縮されているのである。