じじぃの「人の生きざま_559_奈良岡・朋子(女優)」

『黒い雨』 予告編 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MTaSHakSzyQ

演劇 「黒い雨」 水戸芸術館
日本文学の名作を、名女優のひとり語りとして贈る、新潟りゅーとぴあ発の人気シリーズ“物語の女たち”。
今回は奈良岡朋子劇団民藝)の出演で、井伏鱒二の「黒い雨」をとりあげます。
https://arttowermito.or.jp/theatre/theatre02.html?id=690
奈良岡朋子 ウィキペディアWikipedia) より
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年12月1日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。元田宮企画顧問。劇団民藝の法人取締役および劇団共同代表を務める。父は洋画家の奈良岡正夫

                        • -

『私の「戦後70年談話」』 岩波書店編集部/編 岩波書店 2015年発行
口を閉ざしてはいけない 奈良岡朋子 (一部抜粋しています)
戦争中、私はずっと東京の本郷におり、敗戦の年の3月に東京大空襲に遭いました。日本家屋は木造だから爆弾で粉々にして、その上に焼夷弾を落として焼き払うというやり方でした。家にも焼夷弾が落ちましたが、何とか消し止めました。しかし周りの外の家は焼けてしまいました。もう内地には女、子ども、高齢者しかいなかったので、女学校の4年でバケツリレーの先頭に立って火を消していました。軍国少女だったから学校に行かないといけないと思い、焼け野原の惨状を目の当たりにしながら学校へ向かう途中、本郷の高台から見ると、学校の窓も真っ黒で焼けてしまったことがわかり戻ってきました。これ以上いたら命が持たないと、父の故郷である弘前疎開しました。
お話しするだけでもあの時のことを生々しく思い出します。死体はゴロゴロしていたし、くすぶった異様な臭いもしましたが、人間の感情とはおかしなもので、怖いとか気持ち悪いとか恐ろしいとかではないんですね。毎日生きるか死ぬかという生活をしていましたから、麻痺していたんでしょう。どこかへしまい込んでしまう。東日本大震災津波が引いた後の残骸を見たとき、あの時の焼け野原の残骸と重なって見えました。
時間が経って、初めて冷静に客観的に、その時の状況を思い返した時に、こんなことは二度とあってはいけないと思ったのです。生き残った者の義務というのでしょうか。伝える人たちがいなくなってきていることもあります。
劇団という組織の中で戦争をテーマにした作品をつくるときに、若い人たちが活字や写真などの資料で戦争を調べますが、体験者として話をすると説得力が違う。それで70歳を過ぎたくらいから、口を閉ざしてはいけないと思い、最近は特に日本の政治のありり方に対して腹立たしいことばかりなので、はっきり声を出してお話ししようという気持ちになったのです。
     ・
震災の後、『八月の鯨』『カミサマの恋』の公演で東北を回りました。被災した人たちに、つかの間の笑いや心の安らぎを感じ取っていただきたい。あとはいろいろなメディアで、一役者として、一戦争体験者として、語り伝えたい。若い人たちも含めて、自分には関わりがないと、余裕がある人が多いのです。でも今度は他人事ではなくなりますよ。
井伏鱒二さんの『黒い雨』の朗読を一昨年から始めました。井伏作品は少しコミカルで穏やかなものが多いのでよく読んでいましたが、『黒い雨』は少し異色の作品です。小説というより、作家のノンフィクションと感じたのでぜひやりたいと思いました。戦争反対とかアジテーションではないところがいいのです。
一人の朗読ですが、口コミで来てくれないかという依頼もあり、やれる限りはやって、ライフワークにしたい。広島のささやかな市井の家族の話で、聞いた方は淡々と読む中でも心に刺さるとおっしゃってくださる。感情を交えないようにはしていますが、私があの戦争を体験していることによって、一歩踏み込んだり三歩引いたりできて、伝わるのかもしれないですね。