じじぃの「人の死にざま_1108_佐佐木・茂索」

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形影―菊池寛佐佐木茂索 (文春文庫) 読書メーター
文藝春秋を創刊した菊池と佐佐木の人物が良くつまびらかになっている一冊。昭和初期の文壇について知りたい方にはご一読をおすすめする。
http://book.akahoshitakuya.com/b/416710671X
佐佐木茂索 ウィキペディアWikipedia)より
佐佐木茂索は日本の小説家、編集者。京都府出身。京都府第一中学校中退。その後朝鮮仁川に渡るが、1918年内地へ戻り、芥川龍之介に師事。1925年に発表した「曠日」が芥川の賞賛を受ける。1925年、芥川の媒酌で大橋房子(佐佐木ふさ)と結婚。
1930年を最後に作家として筆を折り文藝春秋の幹部として活動、1935年に菊池寛らと芥川龍之介賞直木三十五賞を創設。一時退いたが、戦後改組して発足した文藝春秋新社(現・文藝春秋)の社長として復帰、活動を再開した。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
佐佐木茂索(ささきもさく (1894-1966) 72歳で死亡。 (一部抜粋しています)
戦後の「文藝春秋」の祖となった佐佐木茂索は、ふだん自分の感想や思いつきを、手近の紙きれに書きつける習慣があった。そのメモ。
「昭和40年7月15日記。
一、飛行機は落ちるかもしれないから、こういう場合、大てい遺言めいたことを書いてきた。どこからか沢山出て来るだろうが、これが最新のものである。
一、死ぬのはイヤ。勿論その通りだが、死ぬのも自然だから止むを得ない。晩年になるほど幸福になったのは至幸である。要するに相当な一生であった。何者かに深く感謝をささげる。
一、多小書きたいこともあったが、今はどうでもよい。
一、葬儀は極力寂しいものにしてほしい。結婚式の時は招かれた人だけ出席する。その流儀で葬儀、通夜等も招いた人だけでありたい。むつかしい事だが、その努力を切望する」
これはおそらくどこかへ、飛行機で旅行するときのものだろう。
「40年12月26日深夜記す。
 いよいよ書くべき事を書き残さねばならぬ。整理すべきことは整理せねばならぬ。いつまでも生きていられるものではない。小心翼々という点がないでもない。いや大いにあるらしい。死を眼前に控えていつまでもそうあってはならない。人の思わくの如きを介意せず、自由自在でありたい」
昭和41年11月9日、彼は腸間幕動脈栓塞で、虎ノ門病院に入院、同月29日に手術を受けたが、12月1日午後零時6分、死亡した。
ひとみなのいのちほろばばほろぶべし
 おのがいのちにつつがあらすな
                            ――佐佐木茂索――

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