じじぃの「人の生きざま_274_なだ・いなだ」

作家・精神科医のなだいなださん死去 「権威と権力」 2013年6月9日 朝日新聞デジタル
小説、評論、エッセーなど幅広い文筆活動で知られた作家・精神科医のなだいなだ(本名・堀内秀=ほりうち・しげる)さんが死去したことが、9日分かった。83歳だった。
本人のブログによるとがんで闘病中で、5月末には「がんとの付き合いで、なんとか頑張っていますが、白状すると、ちょっときつい」と記していた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0609/TKY201306090036.html
なだいなだ - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%81%AA%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%A0/36672
精神科医で作家 なだいなだ氏 死去 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9Vt0fxV0Nvs
なだいなだ ウィキペディアWikipedia)より
なだ いなだ(1929年6月8日 - 2013年6月6日)は、精神科医・作家・評論家。日本テレビ放送番組審議会委員。「なだいなだ」はペンネームで、スペイン語の "nada y nada"(何もなくて、何もない)に由来する。
【来歴】
1942年旧制の私立麻布中学に入学。同級生に小沢昭一フランキー堺加藤武仲谷昇、二年上に北杜夫、三年上に奥野健男、五年上に吉行淳之介がいた。
小説家としては1959年から1967年にかけて、「海」「帽子を…」「神話」「トンネル」「童話」「しおれし花飾りのごとく」の6作で芥川賞にのぼるが、いずれも落選している。これは阿部昭、増田みず子、島田雅彦らとともに最多落選記録である。
医師としての専門は精神科で、アルコール中毒(現在のアルコール依存症)をメインテーマとしていた。井の頭病院を経て国立療養所久里浜病院に勤務。1961年に慶應義塾大学で博士号取得。題は「非定型的循環病を中心としたいわゆる内因性精神病に関する考察」。

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文藝春秋 2013年8月号
蓋棺録 「なだいなだ」 (一部抜粋しています)
作家で精神科医のなだいなだ(本名・堀内秀)は、エスプリの効いた小説で注目され、平易な言葉で書いた思想的エッセイで知られた。
1929(昭和4)年、東京で生まれる。母親が助産婦で自宅には産室があった。旧制麻布中学に入学。同級生に小沢昭一フランキー堺がいた。軍人にあこがれて仙台の幼年学校に入学するが、「ませていた」ため上級生にいじめられることが多かった。
敗戦後は中学に復学し、米ソ戦争は必然だと演説して周囲を驚かす。母親の強い希望で慶応大学の医学部予科に入学。講義はノートをとらないで覚えたという。このころからフランス語を学び始め、フランスに留学しフランス人女性と結婚することになる。
慶応病院の医局時代、保高徳蔵が主宰していた同人誌『文藝首都』に参加して、佐藤愛子、田畑麦彦などと知り合う。ある日、医局の食堂で文学について語っていると、突然、「けしからん」と言い出した先輩の医局員がいた。斎藤宗吉、筆名は北杜夫だった。北もまた『文藝首都』の同人で、長い付き合いとなる。
最初に文壇から注目された作品は「帽子を…」で、『文藝首都』に投稿し、『文學界』に転載された。以降、芥川賞候補になること6回で最多記録。その後も同人誌仲間を描いた『しおれし花飾りのごとく』や、性同一性障害をテーマにした先駆的作品『クヮルテット』などを発表している。
多くの読者を獲得したのは、3人の娘たちに語りかける文体のエッセイ『パパのおくりもの』や『娘の学校』でやさしい語り口に哲学的考察をさりげなく織り込んだ。また、『お医者さん』は医療制度の問題を鋭く指摘し、毎日出版文化賞を受賞。『権威と権力』は、権威と権力を対話形式で分析してよく読まれた。
2003(平成15)年、インターネット上で「老人党」を提唱して話題となり、80万件を超えるアクセスがあった。

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