じじぃの「人の生きざま_377_ナンニ・モレッティ」

ナンニ・モレッティ - あのひと検索 SPYSEE
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ローマ法王の休日 動画 YouTube
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Nanni Moretti - La Messa e finita 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JDnUUwv1jH4
ナンニ・モレッティ

ナンニ・モレッティ ウィキペディアWikipedia)より
ナンニ・モレッティ(Nanni Moretti, 1953年8月19日 - )は、イタリア出身の映画監督、俳優、脚本家である。監督作品では脚本も書き、主演もしている。癖のあるユーモラスな作風で、世界中にファンを持つ。
トレンティーノ=アルト・アディジェ州ブルーニコに生まれたが、これまでのほとんどをローマで過ごしている。
『息子の部屋』でカンヌ国際映画祭パルムドールを、『親愛なる日記』で同映画祭監督賞を受賞。『監督ミケーレの黄金の夢』でヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を、『ジュリオの当惑(とまどい)』ではベルリン国際映画祭審査員グランプリを受賞してもいる。
【主な作品】
・監督ミケーレの黄金の夢 Sogni d'oro (1981) 監督/脚本/出演
・ジュリオの当惑(とまどい) La Messa e finita (1985) 監督/脚本/出演
ローマ法王の休日 Habemus Papam (2011) 監督/脚本/原案/出演/製作

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『ル・パスタン』 池波正太郎/著 文藝春秋 1989年発行
ジュリオの当惑 (一部抜粋しています)
学生時代に新左翼主義者だった青年ジュリオが神父となり、離島へ赴任し、その島の平和な生活に心を洗われ、数年後、生まれ故郷の大都会ローマへ帰ってくる。
ローマも変わっていた。家族も、友人たちも変わってい、父は若い愛人のもとへ走り、強気の妹は妊娠中絶をはかり、友人たちも、それぞれ、おもいもかけぬ変貌をとげている。殺伐なローマでは、神父のジュリオまで不当な暴行を受ける始末だ。
青年神父ジュリオの途惑(とまどい)は、増大するばかりである。ジュリオとて、イタリア男らしい激情と怒りのもちぬしなのだが、神に仕える職責ゆえに耐える。耐えに耐える。
昔は職責のみならず、人と人との「愛」によって、何事にも耐えることができたのに、愛も忍耐も忘れてしまった現代の生活は、ジュリオを取り巻く人びとを無謀、無知の世界へ奔走せしめる。
ジュリオの苦悩が深くなるにつれ、観る者に苦笑、哄笑、微笑が生じるのは、この映画をつくったナンニ・モレッティ(原作・脚本・監督・主演)の、人間に対する愛情の眼があるからだ。
33歳のモレッティの才能とユーモアは実にすばらしく、わかりやすく、おもしろい映画だが、観客の感覚が洗練していればいるほど、味わいが深くなる。モレッティは俳優としてもすぐれているが、監督としての彼は、本格の映画演出ができる稀有の作家である。
ジュリオは、子供たちにあたえる果実ひとつにも季節感が消えてしまった現代をなげいて、
「いまは、いつでも何でもある。けれど、子供に思い出がなくなってしまった」
と、哀しげに、つぶやく。
思い出をもたぬ人間の不幸を、現代人は不幸とおもわぬ。国の歴史があるように、一個の人間にも、「歴史」があることを思わぬ時代となった。
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この映画は一個の人間の歴史、その大切さを感じさせる佳品だとおもう。