じじぃの「人の死にざま_1291_F・ミーシャー」

The chemical structure of DNA I - Genes - the units of inheritance (3/10) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=nExcd_wTcHg
Lies, Thieves and DNA 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=59XnRgnkcB8
フリードリッヒ・ミーシャー ウィキペディアWikipedia)より
フリードリッヒ・ミーシャー(Johannes Friedrich Miescher、1844年8月13日 - 1895年8月26日)は、スイスの生理学者、生化学者、医師である。1869年に、細胞核中に核酸を発見してヌクレインと命名し、核酸研究の始まりとなった。
デオキシリボ核酸 ウィキペディアWikipedia)より
デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid、DNA)は、核酸の一種。地球上の多くの生物において遺伝情報の継承と発現を担う高分子生体物質である。
【DNA 小史】
・1869年: フリードリッヒ・ミーシャー(スイス)がDNAを発見1871年にヌクレインという名で発表したが、彼はその役割を細胞内におけるリンの貯蔵と考えていた。(後にリヒャルト・アルトマン(ドイツ)によってヌクレインは核酸と改称される)
・1885年: A.コッセルがアデニンを発見。86年にグアニン、93年にチミン、94年にシトシンも発見。
・1909年: フィーバス・レヴィーンがリボースを構成糖とする核酸RNAを発見。
・1953年: J.ワトソン、F.クリックがロザリンド・フランクリンやモーリス・ウィルキンスの研究データの提供によって DNA の二重らせん構造を明らかにした。

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『ゲノムが語る生命像 現代人のための最新・生命科学入門』 本庶佑/著 ブルーバックス 2013年発行
遺伝子の本体はDNAである (一部抜粋しています)
DNA(デオキシリボ核酸)が遺伝子の本体であるということは、今日では常識となっている。ところが、この常識が形成されるのにも、多くの人々のたゆみない努力と長い年月が必要であった。
DNAは19世紀の中頃、スイス人のミーシャー(J・F・Miescher)によって、けが人の傷口の膿(うみ)やサケの白子(精巣)などから最初に単離された化学物質である。しかし、このDNAが遺伝子の本体であるということは、多くの人々にとっては、とても想像もつかないことであった。一方で20世紀に入ると、遺伝子が細胞核の染色体上に存在することが、アメリカもモーガン(T・H・morgan)によって明らかにされた。染色体はタンパク質と核酸(DNAとRNA)からできている。そこで、遺伝子の本体が核酸なのかタンパク質なのかをめぐって長い論争が続いた。
DNAが遺伝子の本体であるということのもっとも直接的な証明は、1944年にアベリー(O・T・Avery)、マックロード(C・M・MacLeod)、マッカーテイ(M・McCarty)の3人によって行われた。

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『にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語』 サム・キーン/著、大田直子/訳 朝日新聞出版 2013年発行
はかなく消えたミーシャーの栄光 (一部抜粋しています)
ミーシャーはもともと、生命の神秘を解明するこの動きに加わる計画ではなかった。彼は若いころ、故郷のスイスで家業の医業を営むための教育を受けていた。しかし、少年期に腸チフスに感染したせいで難聴になり、聴診器を使ったり臨床で病人の不満を聞いたりすることができなかったため、優秀な婦人科医であった父親から研究者の道を勧められた。そういうわけで、1868年、若きミーシャーは生科学者フェリックス・ホッペ=ザイラーが監督するドイツのチュービンゲン大学の研究室に移った。本部は壮麗な忠誠の城にあったが、フェリックス・ホッペ=ザイラーの研究室は地下の壮大な洗濯室を占有しており、ミーシャーのスペースには隣の古い厨房があてがわれた。
ホッペ=ザイラーは、人間の血液細胞に含まれている化学物質の一覧をつくりたいと考えた。赤血球は自分ですでに調べていたので、白血球をミーシャーに割り当てたが、これは新しい助手にとって幸運な決定だった。というのも、白血球には(赤血球とちがって)核と呼ばれる小さな内包が含まれていたのだ。もっともな話だが、当時のほとんどの科学者は機能のわからない核を無視し、細胞の容積の大部分を占める混濁液の細胞質に注目していた。しかし未知のものを分析するチャンスは、ミーシャーにとっては魅力的だった。
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実は自分の才能に自信がなかったので、好印象を与えたかったミーシャーは、まるで一心不乱に努力すればどんな欠点も補われるといわんばかりに細胞核の研究に没頭した。同僚はのちに彼を「悪魔につちつかれていた」と表現しており、彼は研究のためにあらゆる種類の化学物質に毎日身をさらしていた。しかしこの集中力なしには、彼のあの発見はなかったろう。何しろ、核内部の主要な物質は理解しがたいものだった。

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