じじぃの「人の死にざま_1286_小林・正樹」

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東京裁判名場面 動画 YouTube
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映画「切腹」劇場予告 動画 YouTube
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人間の條件』映画公開50周年トレーラー 動画 YouTube
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激動の昭和史 東京裁判

東京裁判
東京裁判」(ドキュメンタリー映画) 1983年
(監)小林正樹
(脚本)小林正樹、小笠原清
(原案)稲垣俊
(音)武満徹
(ナレーション)佐藤慶
東宝東和
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/tokyo.htm
小林正樹 ウィキペディアWikipedia)より
小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 - 1996年10月4日)は日本の映画監督。代表作は『人間の條件』、『切腹』、『怪談』など。
【人物・来歴】
北海道小樽市に会社員の息子として生まれる。女優田中絹代の又従弟に当たる。早稲田大学文学部哲学科で東洋美術を専攻し、会津八一に師事する。在学中に田中絹代に誘われて映画「桑の實は紅い」(清水宏監督)のロケ現場に1ヶ月参加する。1941年(昭和16年早稲田大学卒業。卒業論文は「室生寺建立年代の研究」。
1965年(昭和40年)松竹を退社して東京映画と契約し、1967年(昭和42年)三船プロ第1作となる『上意討ち 拝領妻始末』を監督して、ヴェネツィア国際映画祭批評家連盟賞を受賞、キネマ旬報ベスト・ワンとなった。1968年(昭和43年)の『日本の青春』のあとフリーとなり、1969年(昭和44年)には黒澤明木下恵介市川崑とともに「四騎の会」を結成。1971年(昭和46年)にはカンヌ国際映画祭で25周年記念として世界10大監督の1人として功労賞を受賞。同年から俳優座映画放送製作『いのちぼうにふろう』を監督や井上靖の長編小説をテレビドラマ化と同時に映画も製作した1975年(昭和50年)の『化石』などといった話題作を発表。
1982年(昭和57年)には足掛け5年の歳月をかけて米国国防総省の保管フィルムや内外のニュース映像などをつなぎ合わせ、極東国際軍事裁判の長編記録映画『東京裁判』を完成させた。『東京裁判』は、立花隆などから肯定的な評価を得た一方、南京事件に関する映像に中国・国民政府が作成した信憑性の低い『中国之怒吼』のフィルムを挿入した事が批判を受けるなど、評価が分かれた。この間、井上靖原作の「敦煌」の映画企画を長年温め、脚本も完成していたが、製作を決定した新生大映社長の徳間康快とのあいだで方針の食い違いを生じ、断念せざるをえなかった。1985年(昭和60年)円地文子原作の連合赤軍事件を題材にした『食卓のない家』を監督。これが最後の映画監督作品になる。

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『ウォームービー・ガイド 映画で知る戦争と平和  田中昭成/著 海鳴社 2008年発行
東京裁判 (Tokyo saiban) (一部抜粋しています)
本作の編集を担当した浦岡敬一の『映画編集とは何か 浦岡敬一の技法』によれば、本作は講談社から企画が持ち込まれ、4年半をかけて制作したということです。国防総省が撮影した3万巻のフィルムの中から、約930巻(170時間分)を抽出し、ニュースフィルムなどと合わせて約4時間半にまとめあげたのです。何の説明もない国防総省のフィルムを整理して編集するのは大変だったでしょう。しかし、映画としては極めて長いものでありながらも、完成品は元のフィルムのほんの一部に過ぎないわけで、極東国際軍事裁判に一角しか見せていないことになります。私は刑事裁判を傍聴し、その裁判の報道記事を収集もした経験がありますが、自分が見たものと報道内容はまったく別の裁判の記事かと思えるほど違っていることもあります。記者たちが裁判がはじまるとすぐ居眠りをはじめることにも疑問を感じました。裁判は公開制ですが、私たちは記者たちが選んだ情報を知らされているだけなのです。
もう一度、ドキュメンタリー・ムービーについて考えてみましょう。同じフィルム素材を使っても制作のやり方によっては異なるイメージの東京裁判ができあがります。本作の制作者たちは東京裁判を傍聴したわけではなく、さまざまな資料を基に裁判を再構成して見せているわけです。入手できた資料によって、映画制作者の東京裁判への見解は変化します。また、映像から観客が真偽をすべて判断することは不可能だということも注意すべきです。
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しかし、制作者が誠意を貫いたとしても別の問題が残っています。浦岡によれば、広田弘毅が判決を受ける場面で、傍聴席いる広田の妻子の映像を判決に聞く広田の映像の中に挿入し、広田が見納めに妻子を見たように編集したということです。これは面白い編集方法だといえますが、広田が実際に妻子を見ようとしたことを制作者が確認したわけではないはずであり、想像に基づく演出だと考えざるを得ません。このように恣意的な意図がなくても不正確な情報が作品に取り込まれる危険性は常にあります。
ドキュメンタリー・ムービーは劇映画と違って、鑑賞することで終わるのではなく、他の資料とつきあわせて検討するための資料として用いるべきなのです。

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