じじぃの「人の生きざま_292_佐藤・慶」

個性派俳優、佐藤慶さん死去 “本番演技”も話題に 2010.05.06 ZAKZAK
個性派俳優として数多くの名匠の作品に出演する一方、映画「白日夢」での“本番演技”が話題を呼んだ佐藤慶(さとう・けい、本名・佐藤慶之助さんが2日午後4時19分、肺炎のため死去した。81歳。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男、純氏。
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100506/enn1005061614029-n1.htm
佐藤慶 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%85%B6/3142
想い出つくり 佐藤慶 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=AsvK30FG2mc
白日夢 1981年版 原作・谷崎潤一郎 (フル動画/無料) 愛染恭子 佐藤慶 動画
http://youtubelist.sblo.jp/article/69386205.html
佐藤慶 ウィキペディアWikipedia)より
佐藤慶(1928年12月21日 - 2010年5月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名は佐藤慶之助。
【来歴・人物】
佐藤家は先祖代々会津藩士で、戊辰戦争に敗れて漆器材料の卸商を営んでいた。また、2.26事件に参加し刑死した渋川善助の妻絹子は叔母。
1955年以降、大島渚監督の一連の作品をはじめ、映画、舞台、テレビドラマで存在感のある悪役などを演じる。その無機質な風貌を生かし、屈折した性格の悪役を得意とし、社会派作品から時代劇・ヤクザ映画まで、様々な作品で総合的性格俳優として活躍する。
1965年、『鬼婆』でパナマ映画祭主演男優賞。1971年、『儀式』『日本の悪霊』でキネマ旬報主演男優賞を受賞。1967年のテレビドラマ『白い巨塔』では、田宮二郎の野心的な雰囲気とは違った暗くねじれた個性を前面に出した財前五郎役を演じた。1980年、紀伊國屋演劇賞受賞。
また、低く泰然とした声でのナレーションも人気があり、1970年代から1980年代にかけて日本テレビで放送された科学ドキュメンタリー『知られざる世界』のナレーターを担当した。4時間半にわたる長尺のドキュメンタリーを劇場公開して話題になった映画『東京裁判』でも、単独でナレーターをつとめている。

                                        • -

文藝春秋 2010年7月号
蓋棺録 「佐藤慶(さとうけい)」 (一部抜粋しています)
俳優・佐藤慶(本名・慶之助)は、虚無を漂わせる演技でファンを魅了し続けた。
1928(昭和3)年、会津若松に生まれる。地元の会津工業学校染織科に入学するが、勤労動員となり、宇都宮の中島飛行機で働いた。
戦後は、市役所の戸籍係となったが、「赤い腕カバーとベレー帽」で仕事をした。そのかたわら、人形劇団「くるみ座」に参加する。
しかし、劇団活動に夢中になりずぎ、クビになって上京。謄写版の内職で食いつなぎ、52年、俳優座養成所第4期生となる。同期に仲代達矢宇津井健などがいた。
その後、所属した小劇団の分裂などで苦労するが、59年、小林正樹監督の『人間の条件』に脱走兵の役で出演。翌年には、大島渚監督の『日本の夜と霧』でニヒルな学生を好演するなど、陰りのある演技が注目される。
テレビでも、65年のNHK大河ドラマ太閤記』で明智光秀を、67年のNET(現・テレビ朝日)『白い巨塔』でも主人公の財前五郎を演じて、知的エリートの屈折した心理や欲望を、抑えた演技で表現した。71年、キネマ旬報男優賞を受賞。
仕事については完璧主義者で、ぞんざいな演技指導をした監督には「もっと仕事を大切にしていただきたい」と抗議文を書いたことがある。また新しい挑戦に意欲的で、50歳を過ぎてから過激な性描写のある『白日夢』で愛染恭子と共演して話題となった。
いっぽう。酒席では乱れることなく仲間たちを楽しませた。「演技を見ている人は暗いと思うようですが、意外に地は反対なんです」。

                                        • -

佐藤慶 Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%85%B6&sa=N&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=GEUkUrjhCorHkQWlnYHADg&ved=0CCoQsAQ4Cg&biw=1030&bih=621