「メデタシ、メデタシ」見事生ききった杉浦直樹さん 2011.9.25 MSN産経ニュース
両切りピースをくゆらせながら、酒を飲むと酔うほどに重量感のある声は熱を帯びたという。演技論から古今東西の文学、政治、哲学まで…。21日に肺腺がんのため79歳で死去した俳優、杉浦直樹さん。今年没後30年の作家、向田邦子原作のドラマ「父の詫び状」や、育毛剤「薬用紫電改」のCMで薄い頭をブラシで叩く姿を思い出す人も多いに違いない。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110925/ent11092517290013-n1.htm
杉浦直樹 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%9D%89%E6%B5%A6%E7%9B%B4%E6%A8%B9/20268
杉浦直樹 ウィキペディア(Wikipedia)より
杉浦直樹(1931年12月8日 - 2011年9月21日)は、日本の俳優。愛知県岡崎市出身。フリーランス。
【来歴・人物】
映画では、1957年の石原裕次郎主演の『俺は待ってるぜ』でデビュー。続いて、1958年に石原裕次郎、小林旭、宍戸錠出演の『錆びたナイフ』で印象的な敵役を演じ、注目を集める。1958年に松竹に入社しにんじんくらぶに所属、二枚目役にも挑戦し活動範囲を広げる。1962年には松竹を退社し、1965年のにんじんくらぶ分裂後は、劇団欅の結成に参加した後、フリーとなった。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
『文藝春秋』 2011年12月号
蓋棺録 「杉浦直樹(すぎうらなおき)」 (一部抜粋しています)
杉浦直樹は、人間の悲しみを、ほろ苦い笑いで演じることのできる、数少ない役者のひとりだった。
1931(昭和6)年、愛知県岡崎市に生まれる。5人兄弟の3男だった。県立岡崎高校在学中、演劇にあこがれるが、親に反対され家出。横須賀に辿り着き、廃寺に芸術家志望の仲間と住み、モク拾いや沖仲仕でしのいだ。
「港の灯を眺めているうちに、自分が惨めになって泣いたこともありました」
そのうち親が折れてきて学費は出すというので、日本大学芸術学部に入学した。在学中に、西村晃や岡田英次がいた新協劇団の研究生となり、50年に内田良平や小松方正とともに新演劇研究所を設立して舞台演劇に熱中する。
57年、石原裕次郎主演の『俺は待ってるせ』に出演したのが映画デビューとなった。その後もニヒルな二枚目として活躍し、『錆びたナイフ』では悪徳ボスの演技で注目される。高倉健主演の『網走番外地』シリーズでも、豪放なヤクザ役を好演した。アジア太平洋映画祭助演男優賞を受賞した『ときめきに死す』での医者役も忘れがたい。
杉浦の演技力が発揮されたのは、『あ・うん』『父の詫び状』など向田邦子原作のテレビドラマだった。『あ・うん』では親友の妻に恋慕する門倉修造を、滑稽と哀切が混在する男として演じた。同作品は舞台にもなり、菊田一夫演劇賞を受賞している。
・
いくつになっても「青臭い」演劇論を語るのが好きだった。チェホフの『桜の園』論が十八番で、チェホフがこの作品を「悲劇ではなく喜劇、いや笑劇と思ってほしい」と述べたことを繰り返し話した。
二枚目だったはずの杉浦が、養毛剤のコマーシャルに出たので話題になったことがある。薄くなりかけた頭をブラシで叩き、「叩かれて男は強くなる」との惹句が入る。出演を断るように助言した友人もいたが、杉浦はにこやかに「叩かれる男」を演じてみせて、養毛剤コマーシャルのイメージを変えてしまった。
糟糠(そうこう)の妻と別れてポンド・ガールの若林映子と暮らした時期もあったが、結婚せずにその後もホテル暮らしを続けた。そのお蔭か「生活の匂いがしない俳優」といわれた。
2006(平成18)年、脳梗塞に倒れたとき世話をしてくれたのは28歳下の女性だった。翌年、杉浦はこの女性と初めて入籍している。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
杉浦直樹 Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%9D%89%E6%B5%A6%E7%9B%B4%E6%A8%B9&sa=N&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=TZE3UtLENYmnlQWxtYGYDQ&ved=0CCoQsAQ4Cg&biw=1034&bih=568&dpr=1