じじぃの「人の死にざま_1224_佐分利・信」

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佐分利信 ウィキペディアWikipedia)』より
佐分利信は、日本の俳優、映画監督。北海道歌志内村(現:歌志内市)出身。本名・石崎由雄。愛称「サブリどん」。
息子に俳優の石崎二郎。孫に、ジャズ・アルトサックス奏者の石崎忍。
【来歴・人物】
1931年、島津元の芸名で『日本嬢』(内田吐夢監督)で俳優デビュー。続く『動員令』で主演に抜擢され、今までの俳優にはなかった朴訥とした演技で注目されるが、本人は後年、「僕は芝居に乗らない気持ちで出てるだけ。それが自然な演技が要求される映画だから、それなりに行けた」とそのことを語っている。1932年、『さらば東京』で共演した黒木しのぶと同棲ののち結婚する。仕事する日は必ず玄関で握手してから出かけるなど大変な愛妻家だった。
1973年、12年ぶりの映画出演である熊井啓監督の『朝やけの詩』以降は再びスクリーンでの活躍が増え、翌1974年の山本薩夫監督の大作『華麗なる一族』の阪神銀行・万俵頭取役で主演し大ヒットする。1975年には3年前のテレビドラマ『化石』を200分に編集し劇場公開、キネマ旬報主演男優賞と毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。同年、紫綬褒章を受章。1977年からは東映の大作『日本の首領』三部作に主演しこれも大ヒット、1979年 - 1980年放送の向田邦子脚本テレビドラマ『阿修羅のごとく』(NHK)と並び、晩年の代表作となった。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
佐分利信(さぶりしん) (1909 - 1982) 73歳で死亡。 (一部抜粋しています)
劇作家池俊行は記す。
「佐分利さんほど、奥さんを愛していた人を知らない。黒木しのぶという芸名の元女優さんだった人である。朝晩の送り迎えのときには、2人は必ず玄関で手をとり合って、口づけしていた」
その愛妻が肝臓ガンで死んだ。佐分利が55のときであった。
「その奥さんが亡くなった通夜のことをいまでも私は忘れない。死体にとりすがって、泣くというよりもう慟哭(どうこく)だった。(中略)霊柩車が火葬場に向かうとき、佐分利さんは車の窓に口づけして、長いこと奥さんとの永別を悲しんでいた」
彼はそれ以来、妻の骨壺を墓に埋めずそばにおき、「私が死んだとき、いっしょに墓にいれてくれ」と、子供にいった。
昭和57年8月中旬ごろから佐分利は、食欲を失い、黄疸症状を呈しはじめ、9月3日、日大病院に入院した。病名は妻と同じ肝臓ガンであった。
すでに手術不可能の状態にあり、胸に穴をあけて高カロリー液を注入することを医者がすすめたが、
「そんなことまでしなければならないのなら、もう人間の死に方じゃない。人間は自然の姿で死ぬものだ」
と拒否して、9月22日午後11時55分、異名の「サブリどん」にふさわしい死に方をした。

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