じじぃの「人の生きざま_351_金・美齢」

金美齢 - あのひと検索 SPYSEE
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金美齢 これから日台関係は黄金期を迎える!間違いなく台湾初の女性総統「蔡英文」氏は誕生する! 動画 YouTube
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『この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人』 金美齢曽野綾子/著 PHP出版 2013年発行
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-80889-5
プライムニュース 「増える?未熟な日本人 老いも若きも自覚せよ 生き抜くための知恵は」 2014年1月10日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】曽野綾子(作家)、金美齢(評論家)
作家の曽野綾子氏と評論家の金美齢氏を迎え、若者・家族・女性・高齢者などの側面から、日本人らしい生き方について聞く。
結婚しない若者、子どもを産まない夫婦、家族という絆までも失いつつある現代の日本。コミュニケーション能力が低下し、体罰・いじめ・虐待や、モンスターペアレント、権利ばかり主張するわがままな老人など、各世代にわたって未熟さが目立つようになったとされる日本人にとって、成熟とはどういうことなのかを考えていく。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140110_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140110_1
金美齢 ウィキペディアWikipedia)より
金 美齢(きん びれい、1934年(昭和9年)2月7日 - )は、台湾出身の日本国籍の評論家。学校法人柴永国際学園JET日本語学校理事長、元台湾総統府国策顧問。夫は周英明。長年台湾独立運動に関わってきた。
【経歴】
2000年(平成12年)に発足した民進党陳水扁政権では、日本に亡命していた黄昭堂ら、ブラックリスト組の200余名らとともに、中華民国総統府国策顧問の一員に迎えられた。
2009年(平成21年)9月、日本へ帰化。2010年(平成22年)10月、美齢塾を開講(約3年間の期間限定活動)。

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『私は、なぜ日本国民となったのか』 金美齢/著 WAC 2010年発行
台湾人の「日本精神」 (一部抜粋しています)
1946年(昭和21年)春、台北第一女子高級中学の生徒だった時、ある日、私は上級生の先輩に誘われて隣の建国中学(旧台北一中)の生徒たちの集まりに参加した。それは送別会だった。元一中の生徒が中国国民党による強制的な中学教育や中国人としてのアイデンティティを押しつけられることに耐えかねて、基隆港から漁船に乗り込んで”憧れの日本”への密航を企てているという。送る側も、送られる側も、何の疑いもなく、日本は祖国で、希望の地だと信じていた。
その生徒の企てはあえなく失敗に終わり、彼はのちに台湾大学に学んで、卒業後は公務員の道を選んだ。もし当時の台湾の若者に国籍選択の自由があったら、日本の代わりにやってきた蒋介石中華民国の国民になることを大多数が拒絶し、日本国民なることを望んだだろう。
そうした感覚は権力の強制からは生まれてこない。日本が台湾で行ったことは、それまでの欧米の植民地経営とは明らかに異なるものだった。
何よりも台湾人は、日本が統治時代に持ち込んだ精神的価値観、倫理観に共鳴し、それを自らのアイデンティティに深く酌(く)み入れた。
台湾語で語られる「リップンチェンシン」、つまり、「日本精神」には、「清潔」「公正」「勤勉」「責任感」「正直」「規律遵守」など多様な意味が含まれ、全人格的な価値観として台湾人自身が使い始めた言葉である。
司馬遼太郎の『台湾紀行』に出てくる“老台北”蔡焜燦(さいこんさん)は、台湾人と中国人の決定的な違いについてこういっている。
「『公』という観念の有無だ、と思う。日本の教育は、台湾人に他の近代国家と伍して恥じない最高水準の道徳を身につけさせてくれた。日本統治時代の道徳教育こそが、台湾人と中国人を精神的に分離させたのである。日本統治時代、『公』という観念は徹底的に教え込まれた。それは秩序ある法治社会を築き上げるためには必要不可欠だった」
自らを取り巻く現実が醜悪であればあるほど、過ぎ去った日々のすべてがより美しく追憶され、目の前の恐怖政治に比べると、日本の植民地だった時代のほうが数倍よかったと思われた。
ほかならぬ李登輝でさえ、国民党政府のことを「外来政権」と規定しているくらいであるから、中国人たちが台湾人をどのように遇したかは推して知るべしである。戦前を「日本時代」、戦後を「中国時代」と呼ぶような言い方が、いつの間にか定着したことも、この間の政治状況の実態を如実に反映していると言える。
「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉は、まさにこのような状況で生まれた。台湾人が戦前の「日本時代」を追憶して、よかったと感じたすべての要素がこの言葉の中にふくまれている。
台湾人の回顧の中では、植民地統治の下ではあったが、日本人の役人は清潔で真面目だった。サーベルをさげた日本人警察官は怖かったけれど、少なくとも公平無私で、袖の下などは決して取らなかった。小学校の担任だった日本人教師のおかげで自分は師範学校まで行かせてもらった。日本から来た技師が命がけでダムを作ってくれた。
腐敗と不正のはびこる末世において、台湾人が渇望した美徳のすべてが、この「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉に込められていたと言っても過言ではない。

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