じじぃの「人の生きざま_661_許・文龍(台湾の実業家)」

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫) 文庫 司馬遼太郎(著) Amazon
「国家とはなにか」をテーマに、1993、94年に訪れた台湾を描いた長編。蒋家の支配が終了し、急速に民主化がすすみ、歴史が見直されようとしていた。
著者は台北、高雄、台東、花蓮などを訪ねる。「台湾」という故郷を失った日本人もいれば、「日本」という故郷を失った台湾人たちもいた。巻末には当時の李登輝総統との歴史的な対談「場所の悲哀」も収録している。
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許文龍 ウィキペディアWikipedia) より
許 文龍(シュー・ウェンロン、きょ ぶんりゅう、1928年2月25日 - )は、台湾の実業家、ヴァイオリニスト。奇美実業の創設者。
李登輝と親しく、外交面では、1996年から約4年間総統府の国策顧問を務めた他、2000年から2006年まで総統府資政を務め、陳水扁総統の相談役として台湾独立運動を支持している事で知られている。
しかし、2005年には「台湾と中国は一つの中国に属している。台湾の独立は支持しない。反分裂国家法を支持する」などといった、事実上「一つの中国」を主張する中華人民共和国政府の政治原則に同調する書簡を発表したこともあった。櫻井よしこは、中華人民共和国政府が、中国大陸に進出した奇美実業に圧力をかけたためとしている。櫻井は、「中国経済に寄与したことなど一顧だにせず、感謝もせず、中国経済に貢献した人物をもたたきつぶすこの徹底した冷酷非情と現世利益追求が中国のやり方」と評している。

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『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい』 蔡焜燦/著 小学館文庫 2015年発行
”愛日家・許文龍氏” (一部抜粋しています)
世界一の親日・知日国家元首李登輝総統をこれまで支えてきたのは、これまた総統に負けず劣らずの”愛日家”許文龍氏である。
私はむしろ、李登輝総統や許文龍を、親日を超えた”愛日家”と言いたい。むろん私自身もそうである。
許文龍は、台南における後藤新平新渡戸稲造の業績を称える国際シンポジウム(事績国際研討会)開催の原同六となった大実業家である。
許文龍氏の経営する奇美実業(股分)広司は、家電製品からコンピューター、自動車に到るまで広く使用されるABS樹脂の製造メーカーとして世界一の生産能力を誇っている。
そのかたわら、許氏は李登輝総統の国策顧問として、バランス感覚に富んだ明晰な頭脳を台湾のために捧げてきた。
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そもそも許文龍氏との出会いも、これまた『台湾紀行』(司馬遼太郎著)がきっかけだった。
『台湾紀行』を読んで感動したという許氏からの連絡が2人を結びつけることになったのである。この意味で『台湾紀行』という1冊は、台湾人と日本人……あらゆる人々の心を結びつけた”運命の書”と言ってもいいだろう。
そうして出会った2人は、様々なことで息があった。
シャインを愛し、そしてすべてを信じて社員に任せる経営哲学も面白いほど一致する。許氏は魚釣りを日課とし、会社には週に二度程度しか顔を出さない。許氏も会社の経営を若い50代の総経理に任せているが、このポストは自分の息子や親族ではない。有能な人材を登用することが、また社会への貢献につながるという発想からである。このあたりは、自分の血族で固めようとする中国式経営とは次元を異にする。
許文龍氏と私の違いを敢えて言えば、許文龍氏が私のように感情で動かないところではないだろうか。物事を常に冷静に分析したうえで、判断する許氏の思慮深さは、まさしく台湾随一と言ってもよかろう。
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そして歴史の「if(イフ)についても綿密な歴史検証をもって真正面から挑んでいる。
「日本統治で台湾の国民所得が倍増したが、仮に台湾が継続して清朝に統治されていたらどうなっただろうか。中央集権的な中国政府の辺鄙地統治は、三流の人材を派遣し苛税を課すだけだろう。台湾人の幸福な生活等は第二義的なことである。派遣官氏は請負制度で年間どれだけ税金を取れるか関心事で、人民の生活状況は顧みない。従って日本統治がなければ、台湾人の生活はもっと悪かったと私は思う」
さらに許文龍氏は、あらゆる角度から歴史を見つめ、次のように結ぶ。
「台湾の基礎はほとんど日本統治時代に建設されたもので、我々はその上に追加建設したといってもよい。当時の日本人に感謝し、彼らを公平に認識すべきである。台湾の『二・二八事件』の死者の名誉回復をする如く、日本統治時代の様々な施設についても頭から日本が悪いと否定するのではなく、改めて正しい評価をすべきと思う」
こうした正論は、歴史の真実を知る識者にはたいへんな共感を生む。
この著者『台湾的歴史』が、あるとき李登輝総統の目にとまり、李総統はその内容に100パーセント同感したという。こうした歴史観の一致が、許文龍氏の国策顧問就任の縁となったのだった。このように、日本統治時代を生きた台湾人の多くが、その時代を評価していることを日本の方に是非とも知っていただきたい。