じじぃの「人の生きざま_343_村上・陽一郎」

村上陽一郎 - あのひと検索 SPYSEE
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未来を探検する知のバトンリレー第1回 「人類の未来」(つながりシンポジウム) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LyK_IjRHw9s
村上陽一郎 『人間にとって科学とは何か』 新潮社
私たちが、科学にとって「正しいクライアント」となるために。
http://www.shinchosha.co.jp/book/603662/
世界に誇る50人の日本人 「成功の遺伝史」 2013年12月30日 日本テレビ
【MC】たけし&くりぃむ上田 【ゲスト】伊集院光劇団ひとり鈴木奈々武田鉄矢茂木健一郎山岸舞彩荒川静香HIDEBOH星野仙一、Mr.マリック、米村でんじろう、その他
人生には大きな影響を受けた人物が必ずいる…引き継がれたその熱きDNAの「遺伝」の「歴史」→「遺伝史」と名付け、スポーツ選手、映画監督、漫画家、政治家、作家、キャラクター…日本が世界に誇る話題50人のルーツを徹底解剖!
林修さん(予備校講師)は1984年に東京大学に合格して、科学史の授業に出たときに村上陽一郎先生の授業を受けてすごく影響を受けたと語った。
林さんは27歳の頃に東進ハイスクールの数学講師として採用された。しかし、数学は人気講座だった。そんなとき村上先生はライバルの少ない分野をあえて選んだのではと考えて現代文の講師になったと語った。
現在、東洋英和女学院大学の学長を務める村上先生に話を聞いたところ、理科系に進みたかったが身体を壊して諦めたと話した。科学史を選んだのは自分の能力の範囲の中で一番面白そうだったからだという。村上先生も林さんも一番得意でやりたい事ではなく、第2の道で成功していた。林さんは講義でも勝てる可能性の高い所で勝負をしろと話している。
http://www.ntv.co.jp/idenshi/
村上陽一郎 ウィキペディアWikipedia)より
村上 陽一郎(むらかみ よういちろう、1936年9月9日 - )は、科学史家・科学哲学者、東京大学名誉教授、東洋英和女学院大学学長。
科学史研究者としての専門は物理学史であり、『ペスト大流行』で感染症を解決しようと試みる科学者の試行錯誤を描き出しただけでなく、科学哲学の考察を加えた。「安全学」という言葉を作り、関連著書を出版している。

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『人間にとって科学とは何か』 村上陽一郎/著 新潮社 2010発行
人間にとって科学とは何か (一部抜粋しています)
科学技術の発展が、私たちの生活や社会を以前より生きやすく、便利にしてきたことは、疑いがありません。ただ、利便性の尺度で測れば当然、科学で得られることには限界があります。しかし科学の価値はそれにとどまるのでしょうか。
私は、宗教が人間にとって必要であるのと同じように、科学も人間にとって必要であると思います。
もともと哲学と科学は原点は同じです。つまり、ものを考えるということがすべての原点になっているからです。
知は、自分を知り、他者を知ることの大きな助けになる。だから、科学に限らずどんな知識も、人間にとって役にたつのです。経済にとって役に立つかどうかは別にして人間にとっては役に立つのです。
そういう意味で科学は決して「役にたつためにのみある」わけではありません。ブダペスト会議の4つの提言の第1にあるとおり、「知識の進歩のための科学」、知識を追求すること自体がかけがえもなく、人間という存在にとって大事なのです。
科学もまた人間としての創造行為であり、社会をはなれてはありえないことを自覚することから始めなくてはなりません。それぞれの個人が考え、参加し、責任をもつ社会でなくてはならないという意味において、あまりにも科学は一般社会と没交渉で来たからです。
しかしながら、「社会のため」という言葉は、しばしば誤用されているようにも思えるのです。
そして最近は経済効果がすべての尺度になって、すぐに経済効果で判断しようとします。
事業仕分け」にかかって、優れたコンピュータを追求することが、「世界一のコンピュータを作る」という話として取り上げられたのもおかしいと思います。予算を要求するほうも、いまの世の中では理解されないからそういう言い方をしていますが、実のところはもちろん世界一が目標ではないはずです。いま、世界のどこにもないほどコンピュータの性能を上げることによってなにができるかということが、大きな知的インパクトになるからこそ研究しなければならないということなのです。
この状況を打ち破るために、2つの論理があります。
まずは、「社会のため」という言葉を矮小化しないで考えてほしいと思います。社会には経済原理だけではない、多様な価値観があるのですから。それらの価値の表現のために身を捧げる人びとがいる、そうした人間存在のある種の高貴さを認めてほしいのです。
いずれにせよ、社会に貢献するかどうかなど、ひとつの世代で計るような問題でしょうか。人間とは、つくづく面白いと思いますが、たとえば宇宙にロマンを感じ、今目にしているのは20億年前の姿だ、なんてじんわり嬉しくなる人たちが、天文学の回りにはいます。メダカを持って宇宙に行った人もいましたが、考えてみると、何十億というお金がかかっているのに何をしているんだ、ともいえます。無重力空間は地球上でつくれなくもないのに。だけれども、そこには宇宙にたいするある種のロマンがあって、私たちはそれを許す何かを持っているのも確かなのです。

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