じじぃの「アフリカ・ニジェールで貧しい人々の命を救う72歳の日本人医師!世界ナゼそこに」

収穫の季節はまだ 栄養失調 マラリアとの闘い - ニジェール 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Rv2e3Moa3oE
読売新聞 谷垣雄三医師の活動を伝える

谷垣雄三医師

手術中の谷垣雄三医師

谷垣雄三医師の医療支援活動
谷垣雄三医師は、1967年信州大学医学部卒。
1982年JICA(国際協力機構)よりニジェール共和国ニアメ国立病院に外科医として派遣され、10年間診療に従事しました。 放置された地方外科医療の改善のため、1992年自費でテッサワに100ベッドの病院を設立し、「援助に頼らない外科医療確立」を目指し、幾多の困難を乗り越えて、今もなお現地にとどまり全力を注いでいます。
http://www.yokohama-kohoku-rc.jp/tanigaki.htm
世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜 2013/12/16 テレビ東京
【MC】ユースケ・サンタマリア杉崎美香 【ゲスト】眞鍋かをり渡部陽一東貴博滝沢沙織、その他
●アフリカの秘境ニジェールで、多くの命を救う日本人医師
ナゼそんなところに日本人が? 世界で活躍する知られざる日本人をご紹介。
アフリカの貧国ニジェールで多くの人の命を救う日本人医師がいた。一体ナゼそこに? 聞けば、ニジェールでは貧困により治療費が払えないため、病院に行かずに放置するケースが多いという。そんな国で、私財8000万を投げ打って病院を作り、72歳という高齢で多くの人の命を助ける理由とは? その裏側には波瀾万丈の人生ドラマが…。
http://www.tv-osaka.co.jp/onair/detail/2013/12/16/21/00/
どうでもいい、じじぃの日記。
12/16、テレビ東京 『世界ナゼそこに? 日本人』で「アフリカの秘境ニジェールで多くの命を救う日本人医師」を観た。
こんなことを言っていた。
【アフリカ・ニジェールで、多くの人の命を救う72歳の日本人医師】
アフリカのニジェールは砂漠が多く、土地が痩せているため経済の発展も進んでおらず、世界屈指の貧国の1つ。国民の48%が1日100円以下で生活している。
貧困により窃盗や強盗が頻発。そのため、外務省が発表する渡航情報ではニジェールは危険度が最も高い赤で示されている地域が殆ど。在留日本人は日本人外科医1人だけ。その日本人外科医がいるのはニアメではなく秘境の地テッサワ。テッサワは人口約3万人の小さな町だった。
番組スタッフが病院へ訪れると、日本人外科医の谷垣雄三さん(72歳)は手術中だった。
谷垣さん、「ニジェールの地方外科を発展させたい。それが目的なんです」
谷垣さんがやったのは何と私費およそ8000万円を投じて、自ら病院を建てたこと。その病院こそがパイロットセンターなのです。
1992年、パイロットセンター(試験病院)設立。
実は谷垣さんが外国人ということで、正式な病院を作る許可は下りず、そのかわりにニジェール政府は試験病院ならと、回答してきたのです。
谷垣さんの原点は1つ。ニジェールに無いに等しかった地方での医療関係を整えること。その第一歩として首都から780kmも離れた辺境の地テッサワで開業。
そして、多くの貧しい人達のため可能な限り安く、安全に外科医療を受け入れられる病院を作ろうとしたのです。
台所用のゴム手袋や手作りの点滴など、すべてコストカットにより、治療費を安くし、多くの貧しい人達が医療を受けられるようにするため。
机の上に何か書かれたメモ用紙を取材スタッフに見せている映像が出てきた。
谷垣さんが1人でこなした年間の手術件数のメモが残っていました。
1992  320
1993  248
1994  206
1995  654
1996  897
  ・
始めた5年後には何と900回近くに。毎日3回も手術に当たる激務の日々。
こうしてようやく、現地に根付いた外科病院が誕生したのです。
しかしそんな矢先、谷垣さんに突然の不幸が襲いかかります。それは突然の妻の死。最愛の妻が風土病にかかり、原因不明の高熱で苦しんだ末、亡くなったのです。
1999年5月 妻 静子さん死亡(享年65)。
とんでもない失意が谷垣さんを襲ったといいます。妻の死を忘れようとするかのように、その後の谷垣さんはますます病院の仕事に没頭。まさに身を粉にして、患者の治療に邁進する毎日でした。
ところがそんな谷垣さんに、3年後追い打ちをかけるような信じられない出来事が。
病院は国家で運営することとする。
何と私費8000万円も投じて建て、10年間も心血を注いできた病院がニジェール政府のものになってしまったのです。
それでも、谷垣さんを必要とする貧しい人々からの声援が谷垣さんの救いとなり、再びメスを握りました。そして日本で支援を募りお金を集め、2007年にまた新たなパイロットセンターを設立したのです。2007年、66歳での再出発でした。
谷垣さん、「私を必要としてくれる人達がいる。絶対に救わなければ」
じじぃの感想
「私を必要としてくれる人達がいる。絶対に救わなければ」
感動しました。