じじぃの「人の死にざま_1268_J・ティティウス」

ヨハン・ティティウス - あのひと検索 SPYSEE
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CG 太陽のまわりを回る惑星 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4cWU5RVfb-s
The Titius-Bode Law 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=OaWpvNOTf_Q
ヨハン・ティティウス ウィキペディアWikipedia)より
ヨハン・ダニエル・ティティウス(Johann Daniel Titius、ティティウスはラテン名で本名はTietz 1729年1月2日 - 1796年12月11日)はドイツの天文学者、物理学者、生物学者。太陽系の惑星の太陽からの距離は簡単な数列で表せるというティティウス・ボーデの法則で知られる。
西プロイセンのコニッツ(現在のポーランド領ホイニツェ(英語版))に生まれた。父親の早逝により、ダンツィヒで大学教授を務めていた叔父によって教育を受けた。ライプツィヒ大学で学び、同大学で講師となった後1756年からヴィッテンベルク大学で数学の教授、後に物理学の教授を務めた。教授職のかたわら多くの翻訳を行った。1766年の訳書、シャルル・ボネ『自然の思想』第2版の訳注に惑星の太陽からの距離の法則を書き加えた。ティティウス・ボーデの法則は新しい惑星の発見をうながす契機となった。
小惑星(1998)ティティウス、月のティティウスクレータはティティウスに因んで命名された。
ティティウス・ボーデの法則 ウィキペディアWikipedia)より
当時知られていた太陽系の6つの惑星(水星、金星、地球、火星、木星土星)の軌道長半径(太陽からの平均的な距離)aは
 a / AU = 0.4 + 0.3 x 2n
で表せる。ここで水星はn=-∞、金星はn=0、地球はn=1、火星はn=2、木星はn=4、土星はn=5である。aの単位は天文単位AU)である。
この法則の提唱後1781年に天王星が発見され、その距離はn=6の場合に良く合っていたため、法則の信憑性が高まった。そのため、空席であるn=3に該当する天体の探索が行われた。その結果1801年に小惑星ケレスが発見された。

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『世界の見え方が劇的に変わる「最新科学」講義』 大宮信光/著 日文新書 2012年発行
小惑星帯はなぜ生まれたのか? (一部抜粋しています)
ドイツ人天文学者ヨハン・ティティウスが惑星研究に深い影響を及ぼすことになるアイデアをあたためていた。各惑星の太陽からの距離が簡単な数式で表される、という法則だ。
1776年、彼は翻訳家であり、スイス出身の生物学者シャルル・ボネの書いた『自然の思想』第2版の訳注に、この法則を書き残した。しかし、無視された。6年後、ドイツの天文学者ヨハン・エレルト・ボーデが、自著の天文入門書にこの法則を脚注として載せ、学会では積極的にこの法則を宣伝した。ティティウスの業績に触れず、「ボーデ則」として知られたが、今日では、「ティティウス・ボーデの則」として知られる。
しかし、ティティウス=ボーデの則には深刻な弱みというか欠陥があることが、すぐわかった。それまで観測されていた水、金、地、火、木、土星の位置はピタリだった。だが、太陽から2.8AU(天文単位)の位置に惑星が存在すると予測していたのに、形跡すらなかったのだ。1781年、予測されていた19AUのところに天王星が発見され、法則の評価が高まる。そこで、”天空の警察”と自称する非公式の天文学者のグループが探索に乗り出す。
1801年、遂に発見され、ローマ神話の女神ケレスから、「ケレス」あるいは「セレス」と命名された。その2年後に発見された元素は、セレスに因んでセリウムと名づけられた。

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