じじぃの「人の死にざま_1460_ヨハン・ボーデ(小惑星)」


ヨハン・ボーデ ウィキペディアWikipedia
ヨハン・エレルト・ボーデ(Johann Elert Bode, 1747年1月19日 - 1826年11月23日)は、ドイツの天文学者である。ティティウス・ボーデの法則を紹介し広めたこと、天王星の軌道を決定し名前を提案したことで知られる。また、ボーデの銀河 (M81) を発見した。
【ボーデにちなんだ命名
・彼が発見した銀河M81をボーデの銀河という。
小惑星 (998) ボーデアは彼にちなんで命名された。

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小惑星探査機「はやぶさ2」の大挑戦 太陽系と生命の起源を探る壮大なミッション 』 山根一眞/著 ブルーバックス 2014年発行
不熱心な小惑星探し (一部抜粋しています)
平山清次著の『小惑星』(岩波全書)では小惑星の発見史がドラマチックに綴られているので、それを参考にしながら小惑星の発見史をたどっておこう。
17世紀の始め、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571〜1630)は、太陽系の惑星を太陽からの平均距離順に並べていくとその間垣が外にいくほど増していくが、火星と木星の間が広すぎることに気づいていた。そこで、火星と木星の間には未発見の惑星がひとつあるはずだだが、発見されないのは、その惑星が小さすぎるからだと推測していた。その推測は正しかった。
18世紀の後半になってドイツの天文学者ヨハン・エレルト・ボーデ(後にベルリン天文台長、星雲M81とM82の発見者でもある)は、太陽と各惑星の平均距離を示す簡単な数列をつくる。これは、ドイツの天文学者、ヨハン・ダニエル・ティティウス(1729〜1796)が1766年に記していたものと同じだったために、後に「ティティウス・ボーデの法則」と呼ばれるようになったのだが、ボーデの功績は、やはり火星と木星の間にあるべき惑星が欠けていることを指摘したことだった。ボーデのその数列によれば、火星と木星の間のほかに、土星の外にも未知の惑星があるはずだった。
1781年、偶然、そのボーデの予測通り土星の外側の惑星、天王星が発見されたことから、ドイツの学会は火星と木星の間にも間違いなく未知の惑星があるはずだとわきたつ。そこで1787年、それを発見するため6人の天文学者からなる「捜索団」を編成し、厳密な観測を開始した。
といっても、小さな惑星は夜空を埋めつくす遠方の恒星と見分けがつかない。太陽系の惑星を探し出すためには、恒星にはない「運動」をしている星を見出す必要がある。望遠鏡で小さな星、1つ1つを肉眼で数時間見続けて、運動のあるなしを確かめていくのだ。この「捜索団」の編成を発議したドイツの天文学者、フランツ・フオン・ツァハ(1754〜1832)は、その観測を「警官が犯罪者を検挙する」ことにたとえている。「犯罪者が多数の良民の中に隠れているように、小惑星は数百万の恒星の中に潜んでいるのだ」と。