じじぃの「人の死にざま_1280_T・ブラーエ」

ティコ・ブラーエ - あのひと検索 SPYSEE
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Tycho Brahe, Johannes Kepler and Planetary Motion(1/2) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=IBvMhpx8Q0Q
Science in Seconds - Tycho Brahe 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=PPq9Tgshuro
年周視差

ティコ・ブラーエの六分儀

ティコ・ブラーエ ウィキペディアWikipedia)より
ティコ・ブラーエ(Tycho Brahe da-Tycho Brahe.ogg、1546年12月14日 - 1601年10月24日)は、デンマーク天文学者占星術師。膨大な天体観測記録を残し、ケプラーの法則を生む基礎を作った。
【生涯】
ティコ・ブラーエは、1577年に出現した彗星についても多くの観測結果を残し、その現象が月よりも遠方で起きていることを証明した。この彗星の観測結果と、さきの新星の発見は、月より遠方ではいかなる変化も起きないと考える天動説を覆す重要な証拠ともなった。彼の残した膨大な天体の観測結果は、望遠鏡が使用される以前の肉眼による天体観測としては、最高の精度を誇るものであった。
ただし彼自身は、地動説が正しければ当然観測されるであろう年周視差が観測できなかった事から、地動説には否定的な立場をとり、「太陽は地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星が公転している」という「修正天動説」を提唱した。
ティコ・ブラーエの最期については、晩餐会でトイレに立つのを我慢しすぎて膀胱破裂で死んだという話がよく知られている。だが、1990年代、遺髭を調べたところ水銀が大量に検出されたことから、水銀中毒が死因であるとの説が新たに唱えられている。彼の最後の願いは、「歴史に名を残したい」であった。

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『すごい宇宙講義』 多田将/著 イースト・プレス 2013年発行
そして宇宙は創られた――想像力と技術力で辿り着いた世界 (一部抜粋しています)
ただ一方で、現在考えられている宇宙論は、間違っている可能性もあります。
その昔、天動説が信じられている時代がありました。つまり「地球は宇宙の中心で、地球の周りを天体が回っている」という説です。
天動説と聞くと、皆さんきっと「非科学的な当時の人は、キリスト教で聖書にそう書いてあるから信じていた」みたいに思っているかもしれませんが、地動説と天動説が熱く闘っていたのは、一応16〜17世紀ですからね。単に「聖書がそう言ってるから……」では納得されないんです。理論的な説明がなされて、実験的に検証されて、その上で「天動説は正しい」とされたんです。
惑星の運動の話で、「ケプラーの法則」に少し触れましたが、そのケプラーの師匠に、ティコ・ブラーエという人がいました。ティコ・ブラーエは、天動説の急先鋒だった人です。彼は非常に頭が良くて、こういうふうに考えたんです。
仮に地動説が正しいとしましょう――つまり、地球が太陽の周りを公転しているとしましよう。たとえば夏と冬とでは正反対の位置にいます(画像 参照)。地球にいる人が、ある同じ星を観測したとすれば、夏と冬で、その星の見える角度が違うはずです。この角度の差を「年周視差」と言いますが、地動説が正しいならこの年周視差が観測できるはずだと考えたんです。
これは着想としてはすばらしく、実はいま現在、地球が公転しているという事実は、まさにこの年周視差によって証明されているんです。
ではなぜ、ティコ・ブラーエは全く逆の結論を出してしまったのか?
ちょうど筑波にある「地図と測量の科学館」に、僕が独りで遊びにいったときに撮影した写真がありました。これは当時の天体観測装置のレプリカです。
大きな分度器に筒が付いていて、筒で覗きながら星がどの角度(位置)にあるかを測定する。こんな大雑把な装置を使って測定していたんです。
これは、本当に単なる筒で、望遠鏡ですらないんです。望遠鏡って、このあとの時代のガリレオなんかが作ったんですね。でもティコ・ブラーエの時代に望遠鏡はなくて、肉眼のみ。
この装置をご覧いただければだいたい想像がつくかもしれませんが、つまりティコ・ブラーエは、装置の精度が足りないために年周視差を観測できなかったんです。夏と冬で星が観測される角度の差を測ることができなかった。差がまったくないんだから、星は同じ位置にある。だから、地球は動いているわけがない、という結論を出したんです。
たとえば、シリウスの場合――恒星のなかでも一番明るい星なので、ティコ・ブラーエがこれを観測した可能性は高いと思うんですが――年周視差がいったい何度に相当するかというと、0.0001度。肉眼だと絶対にわからないでしょ? こんな分度器程度で……。
念のために言っておきますが、ティコ・ブラーエは、当時世界最高の天文学者で、肉眼での観測としては、人類最高の精度で観測できていたのです。それでも尚、年周視差を観測するにはまったく足りなかった。年周視差が初めて観測されたのは、実にその300年後、1838年なんです。
年周視差という着想(理論)はまさに慧眼(けいがん)だったのですが、観測装置がしょぼくて測れなかったために、まったく逆の結論を出してしまった、ということです。
でもこれは笑い話ではなくて、科学において、非常に重要なことを意味しているんです。
つまり、この年周視差が測れなかった時代には、天動説は明らかに証拠があって正しい理論だったわけです。でもそのあと科学が発達して、この角度が測れるようになった途端、まったく正反対の理論が正しいことになってしまった。観測や実験の技術が足りなかったために、まったく逆の結論を出してしまっていたんです。

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