じじぃの「人の死にざま_1262_LH・オズワルド」

best closeup of the john f kennedy's death 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qBnCKPCtp7s
Lee Harvey Oswald shot by Jack Ruby 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=r6PcVCqg3tg
リー・ハーヴェイ・オズワルド ウィキペディアWikipedia)より
リー・ハーヴェイ・オズワルド(Lee Harvey Oswald、別名Alek J.HidellあるいはO.H. Lee、1939年10月18日 - 1963年11月24日)は、アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディ暗殺の実行犯とされる人物。ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。逮捕直後にジャック・ルビーによって暗殺される。
ソ連への亡命】
オズワルドは日本の厚木基地勤務時代にロシア語を学び、除隊後の1959年、ソ連に旅行に出かけ、そのまま亡命した。アメリカのスパイとして疑われ、追放されることを避けるために自殺を試みた。その後ソ連当局はオズワルドにミンスクでの生活を許可した。彼はテレビ工場で働き、ロシア人女性マリーナと結婚した。
ソ連時代のオズワルドは自身をマルクス主義者であると主張し、駐モスクワアメリカ大使館にパスポートを返却してアメリカ市民権を放棄しようとした。この試みについては、ソ連から国家機密を盗み出すためのCIAの工作説や、その後の諜報活動のために「共産主義シンパ」を装うためであったといった説がある。
【疑惑】
暗殺事件前後に「オズワルド」を自称する者が複数目撃されたという証言や、狙撃時のオズワルドの所在について、教科書倉庫ビル2階の食堂で昼食を摂っていた姿を目撃した証言もあるなど、オズワルドは実行犯ではなく身代わりとして行動したと主張する論者が多数存在する。
マフィアとの関係が指摘されるルビーが何故容易に警察署に入ることができたのかという疑問や、オズワルドとルビーの間には共通の知人が何人もいたこと、2人が顔見知りであったという証言もあるなど、暗殺の実行犯はオズワルドではない、あるいは単独犯ではないという説は未だ根強い。しかしながらウォーレン委員会の正告によると、様々な物的証拠を検証するとオズワルド単独犯で説明がつくと結論されている。真実は2039年に解禁されるという。

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ケネディ暗殺・隠蔽と陰謀』 奥菜秀次/著 鹿砦社 2000年発行
「私には死との約束がある」あるいは「そして我らすべて死すべき運命」 (一部抜粋しています)
オズワルドがCIAやFBIの国外、国内情報収集活動に関わっていなかったら、彼はどんな人生を送っていただろうか? どのみち彼は人生の敗者として終わった可能性が高いが、ケネディを撃ち、自らもジャック・ルビーに射殺されるというエンディングを迎えたかどうかわからない。
オズワルドがマフィアとCIAに利用されてケネディを撃ったなら、彼の前歴こそが暗殺殺人として利用するにふさわしいものであったろう。
マルセロ=ロッセリのコンビがハーヴェイのような反ケネディCIA工作員と組んでオズワルドを操り、ケネディを暗殺したなら、まさにケネディはその政策により死んだ事になる。旧来の冷戦政策を見直し、かっては同盟を結んでいたマフィアを撲滅し、大統領としての2期目にはより多く可能になった事もあろうに、政治家がその政策ゆえに命を絶たれるのは歴史の必然なのだろうか? 政治家の死には殉死という言葉が使われるが、まさにケネディの死こそ殉死と呼べたのだろう。
アメリカの政治上、大統領が死んで黒人がさめざめと泣いたのはリンカーンルーズベルトケネディの時だけだったという。
思えば、ケネディが愛したという詩はこんな予言的なものだった。
 死が私の手を取り、闇の世に私を導き、私の目を閉じて、私の息を絶やすだろう。
 私には死との約束がある。炎につつまれた真夜中の街の中で、春が今年もまた北へのぼってくるとき、誓ったその言葉に忠実に、私はその約束にたがうまい……。
オズワルドが単独でケネディを撃ったなら、それこそ世界中の米ソ激突地点での異様で奇怪な生活が彼を狂わしたのは、間違いないだろう。罪が深い、陰謀が存在したより、こちらのほうがより罪が深い。
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オズワルドが生きていたら歴史の流れは変わっていたかもしれないと思うには筆者1人だけではないだろう。CIA内の冷戦遂行者たちはそれを恐れたからこそ、オズワルドとCIAの接触の痕跡を根こそぎ消し去ったのだ。
冷戦政策はアメリカの国是であったが、「冷戦の(下級)闘士であったオズワルドがアメリカの合衆国大統領を暗殺した事は、いわばアメリカの近代の歴史、アメリカの軍事構造を否定しかねない事であり、「大統領さえ超越した」力とは軍産複合体という具体的存在ではなく、漠然としているがより大きな、動かしようがない歴史的必然政策の「冷戦政策」であった。人間が事態を動かしたのではなく、事態が人を動かしていたのだ。ケネディ暗殺の真相究明がなされたら「冷戦政策の否定」どころか「歴史の否定」さえなりかねない。
オズワルドがライフルをかまえて大統領のパレードを見下ろすビルに現れた時、冷戦遂行者たちは己が生み出した悪夢にうなされた事だろう。
世界のジャーナリストたちのカメラのフラッシュが焚かれるなか、ジャック・ルビーはオズワルドの腹部に弾丸をめり込ませた。この瞬間をとらえた幾枚かの写真には、ティピットを撃った後でも見られたオズワルドの癖、口をすぼめたところが写っていた。
オズワルドの遺体はフォートワースのロード・ヒル墓地に埋葬された。彼の葬儀には棺を担げるほどの参列者もいず、取材をしていたジャーナリストたちが棺を墓の中に下ろすのを手伝った。彼の棺の皮はモグラの皮でできていた。皮肉にも”モグラ”とは諜報用語で使う潜入スパイの事であった。
妻マリナは、「世界で一番愛されない男の死」とコメントした。マリナが墓石近くの土を棺にかけたのは、故国ロシアの風習だったのだろうか。
その後オズワルドの墓石は盗難に遭った。現在の彼の墓石には生年も没年も献辞も親からもらった名もなく、ただ一言、死者の名「OSWALD」のみが記されている。

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