じじぃの「人の生きざま_318_曽野・綾子」

【戦争もまた人間に教えることがある!】作家の曽野綾子さん「その通り!」。98%は悪。2%は勉強できると、誰も口にしない真実を語る話しが面白い件。 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=nxaKMYjMjAE
カルネアデス 谷井翔一 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=p4nRt8mOuUk
女性死亡 人を救うため踏切へ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-W7nrv2Kzck
プライムニュース 「増える?未熟な日本人 老いも若きも自覚せよ 生き抜くための知恵は」 2014年1月10日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】曽野綾子(作家)、金美齢(評論家)
作家の曽野綾子氏と評論家の金美齢氏を迎え、若者・家族・女性・高齢者などの側面から、日本人らしい生き方について聞く。
結婚しない若者、子どもを産まない夫婦、家族という絆までも失いつつある現代の日本。コミュニケーション能力が低下し、体罰・いじめ・虐待や、モンスターペアレント、権利ばかり主張するわがままな老人など、各世代にわたって未熟さが目立つようになったとされる日本人にとって、成熟とはどういうことなのかを考えていく。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140110_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140110_1
人間にとって成熟とは何か 曽野綾子(著) 幻冬舎新書
人はみな平等に年を取るが、しだいに人生がおもしろくなる人と、不平不満だけが募る人がいる。両者の違いはいったい何か。「憎む相手からも人は学べる」「諦めることも一つの成熟」「礼を言ってもらいたいくらいなら、何もしてやらない」「他人を理解することはできない」「人間の心は矛盾を持つ」「正しいことだけをして生きることはできない」等々、世知辛い世の中を自分らしく生き抜くコツを提言。まわりに振り回され、自分を見失いがちな人に贈る一冊
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784344983120
弱者が強者を駆逐する時代 曽野綾子(作家)著 ワック
「日本は天国をやっている」。自分が働かなくても、誰かが三食・家付きの暮らしを与えるべきだと信じる「弱者」が存在し、そしてそれを「おかしい」と批判することがためらわれる社会がやってきた。
http://web-wac.co.jp/book/tankoubon/114
曽野綾子 ウィキペディアWikipedia)より
曽野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。カトリック教徒で洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。2009年10月より日本郵政社外取締役。保守論客の一人。

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金スマ 「人間にとって成熟とは何か 曽野綾子 2013年11月8日 TBS
【司会】中居正広安住紳一郎 【レギュラー出演】 ベッキー假屋崎省吾大竹しのぶ室井佑月 【ゲスト】曽野綾子
TVに出ないベストセラー作家・曽野綾子が周囲に振り回されずに生きるコツを伝授!
http://www.tbs.co.jp/kinsma/
11月8日 TBS 金スマ 「人間にとって成熟とは何か 曽野綾子より
曽野綾子著『人間にとって成熟とは何か』に学ぶ。心が楽になり人生がおもしろくなる考え方のコツを伝授する。
曽野綾子は1931年9月 東京に生まれた。大田区田園調布で育ち聖心女子学院に通う。父は酒も博打もやらない真面目な男だが、家では毎日のように暴力を振るった。綾子は現実の世界から逃げるように小説の世界に没頭。曽野綾子の自伝『この世に恋して』によると「父は家の外では愛想もよく偉ぶってもいない。「お父様は気さくで良い方ね」と言われる。だから私は人の見かけは一切信じなくなりました」とある。母は夫との不仲のため綾子が1人で生きられるように料理や薪割りなどあらゆる家事をを幼いうちから綾子にやらせるなど厳しく教育した。さらに大学生の家庭教師を雇い作文を習わせた。作文を最後に添削するのは母だった。
綾子に影響を与えた出来事は太平洋戦争、東京大空襲だった。
「50センチ右に立っていた人が死に、50センチ左に立っていた人が生き延びた」
父の多面性と母の厳しい教育、そして戦争体験が作家・曽野綾子の出発点となった。
綾子は高校生のときに小説家になることを決意し、曽野綾子ペンネームで雑誌に投稿した。その後いくつかの作品が雑誌に掲載され、20歳のときに第15次「新思潮」に参加することになった。「新思潮」は谷崎潤一郎芥川龍之介吉行淳之介などを輩出した名門文芸雑誌。このときに後の夫となる作家の三浦朱門に出会った。
三浦朱門は処女作『冥府山水図』で芥川の再来と呼ばれた。1985年からは文化庁長官を務めた。曽野綾子が大学4年生のときに三浦朱門と結婚。そして綾子は1954年に『遠来の客たち』で文壇にデビューし、遠藤周作などから実力を認められた。その後、綾子はどこにでも取材に出かけ社会派の小説を発表していく。1968年にダム建設について書いた『無名碑』は代表作の1つとなった。
1970年に発表した『誰のために愛するか』は累計200万部を突破した。
しかし、42歳のときに白内障を患い、作家生命の危機が訪れる。本を顔の5センチまで近づけないと読めなくなり、ワープロの画面の文字もほとんど見えないため文章を書くのも難しくなった。その後、中心性網膜炎を併発し、視界がさらに暗く狭くなった。綾子は当時6本あった連載を全て休止した。
白内障手術を受けたところ、視力が1.2まで回復した。それからだった。家に閉じこもりきみだった綾子は、積極的に海外に出かけるようになっていった。
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2013年10月1日、横浜市緑区で踏切で倒れていた男性を助けようとした女性が死亡した事故が起きた。
同様の事故がここ数年で何件も起きている。2001年には新大久保駅で酒に酔ってホームに落ちた男性を助けようとした韓国人留学生とカメラマンの男性が命を落とした。事故後は転落ブザーや避難スペースが強化された。しかし、2007年にときわ台駅で線路に侵入した女性を助けた警察官が死亡した。勇気のある警察官の話は絵本になった。
街の人に、もし自分が同じ状況であったら助けることができるか調査。ほとんどの人が「できない」あるいは「できない自分を責める」と答えた。
もし、自分が同じ状況であったら、助けることができるのか?
紀元前2世紀のギリシャの哲学者カルネアデスが出したといわれる「カルネアデスの板」。
船が難破したときに、1人しか掴まれない板にしがみついている人間を突き落として板を奪い、みずから助かることは許されるか?
板に先につかまった男は、その板に向けて助けを求めるもう1人の男を、触れさせまいとつきとばした。
曽野さん、「でもそれで普通なんですね、人間というものは。でも最後の瞬間になるとわからないってことなんです。『無罪』だと言われて、あそこから人間は考え出すんです。私は無罪だと言う人はつまらない人なんです。あそこから彼は人間になった。人間になったということは迷って非常につらい思い続けることなんです。悩みがないということは幸せじゃないんです」
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曽野綾子 Google 検索
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