じじぃの「世界遺産・ギリシャ・古代オリンピック・競技者はなぜ裸だったのか?137億年の物語」

Olympia 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6LYe-5eWCP8
Ancient Greece Olympics 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zXRfIMZ_ufc
ゼウス像 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Jupiter_Smyrna_Louvre_Ma13.jpg
古代オリンピック Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF&espv=210&es_sm=93&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=7k1nUobnDI2flQXt0oDwDg&ved=0CDcQsAQ&biw=1050&bih=599
余録:女は入場も許されなかった古代オリンピックだが… 2012年07月27日 毎日jp
女は入場も許されなかった古代オリンピックだが、その歴史には「カリパティラ」という伝説的女性の名が刻まれている。参観の禁を破れば断崖から落とされる決まりだったオリンピアで、史上ただ一人捕らえられた女性だからだ。
http://mainichi.jp/opinion/news/20120727k0000m070091000c.html
スパルタの末路 ノボ村長の開拓日誌
男も女も裸のまま暮らし、運動競技大会に備えて、いっしょに訓練を行った。忍耐強さを競う「ディアマスティゴーシス」という過酷なムチ打ちに参加する女性もいた。この儀式は、クジで選んだ人間の生贅をアルテミスに捧げていたのに替えて、リュクルゴスがはじめたもので、女神アルテミスの祭壇で行われた。
http://d.hatena.ne.jp/kawasimanobuo/20130205/p1
137億年の物語【ギリシャ古代オリンピック開催】 2013年10月19日 テレビ東京
【出演者】寺脇康文相内優香、その他
古代オリンピックとはギリシャ神話の太陽神・ゼウスに捧げる祭典でした。戦争に明け暮れた都市国家・ポリス同士がスポーツで競い合うのがオリンピック。開催中は休戦してオリンピックに熱中しました。どんな種目でどのように競われたのでしょうか? 相内助手がギリシャ古代オリンピックを取材、様々な発見をします。
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/22689_201310191800.html
世界遺産ライブラリー [オリンピアの考古遺跡] NHK世界遺産
ギリシャペロポネソス半島西部に位置するオリンピアは、乾燥した気候で知られるペロポネソス半島の中でもとりわけ湿度が高く、深い緑が広がる土地です。緑豊かなクロノスの丘の麓に、古代オリンピック発祥の地オリンピアの遺跡が広がります。2007年8月ギリシャ各地で発生した大規模な山火事が、遺跡近くの村や遺跡から数百メートル離れた博物館にまで迫ったと報じられ、世界中に驚きを与えました。
「シリーズ世界遺産100」では「男たちの祭典」と題し、男性のみ参加が許された古代オリンピックのユニークな競技を紹介し、近代オリンピックの原点を見つめます。紀元前8世紀頃に始まったとされる古代オリンピック。当時ギリシャはポリスと呼ばれる都市国家の集まりで争いが絶えませんでしたが、オリンピック開催の数ヵ月前になると各地のポリスは休戦を宣言し人々はオリンピアへと集いました。オリンピックは神々の父ゼウスに捧げるための競技として始まりました。初めての正式競技といわれるのが短距離走。人々は全裸で192.3メートルを走りぬいたといいます。その他円盤投げや走り幅跳び、ボクシングとレスリングをあわせたようなパンクラティオンと呼ばれる競技など、男たちの熱気は4世紀、ローマ教皇により廃止されるまで続きました。そして現在遺跡内のヘラ神殿でオリンピック聖火の採火式が行われています。男たちの熱気は聖火の小さな炎となって今に受け継がれているのです。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards431.html
『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
古代のオリンピック (一部抜粋しています)
オリンピアの宗教的体育祭は、神々の王ゼウスを讃えて、BC776年から4年ごとに開催された。その期間中は、戦争も中止され、ギリシャ全土から参加した若者が、競走、拳闘、レスリング、跳躍、槍投げ円盤投げなどの技を競った。優勝者の賞品は月桂冠だけだったが、それは生涯の名誉とされた。

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『世界史の叡智 - 勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ』 本村凌二/著 中央公論新社 2013年発行
クルティウス 近代五輪成立の陰の立役者 (一部抜粋しています)
18世紀後半、ギリシャはまだオスマン帝国支配下にあった。この地をイギリスの古代愛好家協会の調査団が訪れ、偶然にもオリンピアらしい遺跡があることに気づいた。なにしろ古代7不思議のひとつであるゼウス像をおさめた神殿があるかもしれないのだ。だが、調査の続行にはあまりにも資金不足だった。
1872年、ドイツ帝国議会で有力政治家フリードリヒ・カップがドイツの学術政策をめぐって熱弁をふるう。かねてお金にならないことは関心がなかったビスマルクが相手だったが、さしもの鉄血宰相も熱意ある主張の前にしぶしぶ学術予算を認めざるをえなかった。
じつのところ、このカップ議員の演説の草稿を書いたのは、ベルリン大学の考古学者エルンスト・クルティウスであった。彼はかねてオリンピア発掘の資金を要求しており、その執拗な熱意が議会演説を通じて学術研究にビスマルクの心をも動かしたのである。
30代半ばに3年間ギリシャに滞在したクルティウスは、古代の遺跡と遺物にすっかり魅了されてしまった。帰国後、各地で古代ギリシャ文化についての講演に勤(いそ)しんだのは当然だった。しかも、情熱的な語り口が衆目をひきつけ、その巧みな話術はカリスマ的な人気を博するほどだったという。
1852年、クルティウスはオリンピア発掘をよびかける画期的な演説を行っている。古代作家パウサニアスの旅行案内記には大部の紙幅を費やしてオリンピアの建築物や奉納品が詳述されていたから、「オリンピアへの夢」は膨らみ弾けんばかりだった。
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こうして1875年から81年にかけてオリンピアの発掘調査が行われた。ゼウス神殿、ヘラ神殿をはじめとする遺構や遺物が見つかり、美しいヘルメス像は今日でもオリンピア考古学博物館で目にすることができる。もちろん、その後の発掘調査のなかでオリンピアの競技場遺跡も明らかになっている。
温厚で礼儀正しいクルティウスだったが、トロイア遺跡の発見者シュリーマンの話になると、罵詈雑言をあびせたという。鼻持ちならない成り金の素人学者が世界的な名声を得ていることへの羨望もあっただろうが、こともあろうに資金力にまかせてオリンピア発掘にも介入しようとしていたからだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
10月19日、テレビ東京 『137億年の物語』で「ギリシャ古代オリンピック開催」を観た。
古代オリンピックの競技で、競技者はなぜ、裸なのか?
はっきりした理由がなく、一応、不正を防ぐため全裸で競技したとなっているが、走っていた競技者のなかに裸の競技者が混ざっていたのが始まりじゃないか、とか。
競技者は男子だけなのか?
これも、中には女性も紛れ込んでいたらしい。女性の場合はスッポンポンというわけではなかったようだ。
近代オリンピックといえばフランス人のクーベルタンが有名だが、彼はドイツの考古学者エルンスト・クルティウスのギリシャ・古代オリンピア発掘に興味を持って、オリンピックを提唱したのだそうだ。
ギリシャオリンピアの遺跡は「オリンピアの考古遺跡」として、1989年 文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録された。