じじぃの「人の死にざま_1241_E・クルティウス」

世界遺産オリンピアの古代遺跡】ギリシャ1-3 試聴版 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=2NP9zW1oqvI
AVANTI 古代オリンピックのお話 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=fbE67AR5g7I
Olympia 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6LYe-5eWCP8
ゼウス像 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Jupiter_Smyrna_Louvre_Ma13.jpg
137億年の物語【ギリシャ古代オリンピック開催】 2013年10月19日 テレビ東京
【出演者】寺脇康文相内優香、その他
古代オリンピックとはギリシャ神話の太陽神・ゼウスに捧げる祭典でした。戦争に明け暮れた都市国家・ポリス同士がスポーツで競い合うのがオリンピック。開催中は休戦してオリンピックに熱中しました。どんな種目でどのように競われたのでしょうか?相内助手がギリシャ古代オリンピックを取材、様々な発見をします。
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/22689_201310191800.html
アルヘア・オリンビア ウィキペディアWikipedia)より
アルヘア・オリンビア(Archaia Olympia)は、ギリシャ共和国西ギリシャ地方イリア県にある町であり、その周辺地域を含む基礎自治体(ディモス)。その名は「古代オリュンピア」(英: Ancient Olympia)を意味し、古代オリンピックが開催されたオリュンピア(オリンピア)の遺跡はこの町にある。「オリンピア市」とも表記される。
【歴史】
393年、テオドシウス1世はオリンピアの祭典の中止を命じ、千年に及ぶ古代オリンピックの歴史は幕を下ろした。神殿は破壊され、「ペイディアスの仕事場」と呼ばれる建物は教会に転用された。6世紀頃まで、オリンピアの遺跡にはキリスト教徒たちが暮らしていた。その後の時間とともに、古代オリンピアの遺跡は土に埋もれ、最大8mの地中に眠ることとなった。
現在の遺跡が再発見されたのは1766年、イギリスの考古学者リチャード・チャンドラー (Richard Chandler) によってであった。しかし、遺跡の発掘は1829年、フランスによる「モレア探検」 (Morea expedition) まで行われなかった。1870年代以降、遺跡の保存・発掘はアテネのドイツ考古学研究所によって行われることになった。最初の本格的な発掘は1875年、エルンスト・クルティウス (Ernst Curtius) によって行われた。
1936年、ベルリンオリンピック開催に合わせてオリンピアの遺跡も大規模な発掘調査が行われた。

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『世界史の叡智 - 勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ』 本村凌二/著 中央公論新社 2013年発行
クルティウス 近代五輪成立の陰の立役者 (一部抜粋しています)
18世紀後半、ギリシャはまだオスマン帝国支配下にあった。この地をイギリスの古代愛好家協会の調査団が訪れ、偶然にもオリンピアらしい遺跡があることに気づいた。なにしろ古代7不思議のひとつであるゼウス像をおさめた神殿があるかもしれないのだ。だが、調査の続行にはあまりにも資金不足だった。
1872年、ドイツ帝国議会で有力政治家フリードリヒ・カップがドイツの学術政策をめぐって熱弁をふるう。かねてお金にならないことは関心がなかったビスマルクが相手だったが、さしもの鉄血宰相も熱意ある主張の前にしぶしぶ学術予算を認めざるをえなかった。
じつのところ、このカップ議員の演説の草稿を書いたのは、ベルリン大学の考古学者エルンスト・クルティウスであった。彼はかねてオリンピア発掘の資金を要求しており、その執拗な熱意が議会演説を通じて学術研究にビスマルクの心をも動かしたのである。
30代半ばに3年間ギリシャに滞在したクルティウスは、古代の遺跡と遺物にすっかり魅了されてしまった。帰国後、各地で古代ギリシャ文化についての講演に勤(いそ)しんだのは当然だった。しかも、情熱的な語り口が衆目をひきつけ、その巧みな話術はカリスマ的な人気を博するほどだったという。
1852年、クルティウスはオリンピア発掘をよびかける画期的な演説を行っている。古代作家パウサニアスの旅行案内記には大部の紙幅を費やしてオリンピアの建築物や奉納品が詳述されていたから、「オリンピアへの夢」は膨らみ弾けんばかりだった。
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こうして1875年から81年にかけてオリンピアの発掘調査が行われた。ゼウス神殿、ヘラ神殿をはじめとする遺構や遺物が見つかり、美しいヘルメス像は今日でもオリンピア考古学博物館で目にすることができる。もちろん、その後の発掘調査のなかでオリンピアの競技場遺跡も明らかになっている。
温厚で礼儀正しいクルティウスだったが、トロイア遺跡の発見者シュリーマンの話になると、罵詈雑言をあびせたという。鼻持ちならない成り金の素人学者が世界的な名声を得ていることへの羨望もあっただろうが、こともあろうに資金力にまかせてオリンピア発掘にも介入しようとしていたからだ。