じじぃの「神話伝説_20_ペロプス(ギリシア神話)」

Ancient Olympics, Part 1, the Foundation (Ancient Art Podcast 18) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=idblOCn3OWY
Birth of the Olympics 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=K8ztMlmavBw
ギリシャ オリンピア遺跡で採火式

オリンピア(1)  2011/05/20
ゼウス神殿の東切妻はオリンピアの基本的な神話を描く。それは至聖所についての支配権を求めての戦いである。
オイノマオス神話では、ピサの王は予言者から、彼の娘ヒッポダメイアと結婚する男の手にかかって死ぬと警告されて、彼女への求婚者全員を馬車競争へ挑戦させた。馬車競争の条件は、勝利者はヒッポダメイアを妻とするが、しかし負けた場合は、オイノマオスによって殺される
http://www.lcv.ne.jp/~riverfld/site302/olympia1.html
ペロプス ウィキペディアWikipedia)より
ペロプス(Pelops)はギリシア神話に登場する英雄である。ペロポネソス半島の地名はペロプスに由来している。
タンタロスとエウリュアナッサの子。タンタロスはリディアのシピュロスからパフラゴニア(英語版)にかけての王で、父はクロノス、母はレアーの娘プルートーだといわれるが、ゼウスやトモーロス山の神トモーロスが父だとする説、オーケアノスとテーテュースの子とする説もある。ペロプスの母エウリュアナッサは河神パクトーロスの娘だが、河神クサントスの娘エウリュテミスタであるという説やアムピダマースの娘クリュティアーとする説など異説が多い。
【ペロプスの業績】
ペロプスはオイノマーオスの王座を継ぐと、勢力を拡大して支配地の名をペロポネーソスすなわち「ペロプスの島」と改めた。ペロプスはさらにエペイオス王からオリンピアを奪い、ギリシア全土の名誉と尊敬の対象となった。ミュルティロスを殺した罪の償いとして、ペロプスはヘルメースの最初の神殿を建て、オリンピアの戦車競技場にミュルティロスの記念碑を建てた。しかしアルカディア王ステュムパーロスについては、武力で勝てないと見て友好の席に招いて謀殺した。この罪のため、ギリシア全土は飢饉に見舞われた。このときアイアコスがゼウスに祈って雨を降らせたという。

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ギリシアの英雄たち』 曽野綾子、田名部昭/共著、建石修志/装画 講談社 1990年発行
オリンピックの始まり (一部抜粋しています)
ペロプスは成人して下界に下り、アルカディアペロポネソス半島内陸中部)の王女ヒッポダメイアに求婚した。
ヒッポダメイアの父オイノマオス王は、娘を手離したくなかったのと、娘と結婚する男によって自分が死ぬとの神託があったために、娘の求婚者に対して過酷な条件をつけていた。それは、求婚者が王と戦車競走をして勝てば、ヒッポダメイアと結婚できるが、負けたら命を取られる、というものだった。
その競争の方法というのも、求婚者が戦車にヒッポダメイアを乗せて先行し、オイノマオスはオリンピアの「戦いの神ゼウス」の祭壇に犠牲を捧げて半時間ほどたってから、武装して先行の戦車を追いかけるという方法だった。
今までに12人の若い求婚者が王に挑戦したが、いずれも王に追いつかれ、首を切られて、その首を王宮の門に釘づけされて晒(さら)しものにあるという運命を辿っていた。どうしてオイノマオスがそんなに速かったかというと、彼の戦車には戦闘の神アレスにもらった馬と馬具がつけてあったのである。
美青年ペロプスもこの挑戦に心を引かれてでかけて行ったのだが、ヒッポダメイアを見ると1目で夢中になってしまった。一方、ヒッポダメイアの方も、ペロプスを忘れられなくなってしまったので、以前は自分に気のある父王の御者ミュルティロスに甘い言葉をかけ、ペロプスも彼に、王国の半分と花嫁との初夜の権利を与えると約束して、王の戦車の心棒から楔(くさび)を抜いておくように頼んだ。
いつものように、オイノマオスは易々と娘の求婚者の戦車に追いついて来た。そして槍をかまえてペロプスの背中に狙いをつけた。だが、槍がオイノマオスの手を離れようとした、正にその瞬間、戦車の車輪がはずれて戦車はばらばらに吹っとんでしまった。
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王国とヒッポダメイアを手に入れたペロプスは、聖地オリンピアで、オイノマオス王の葬礼競技会を催した。一説では、この競技会がオリンピア競技会の始まりだと言われる。だから、オリンピック競技の背景には、決して公正に競技を競う精神だけが存在していたわけでもない。