じじぃの「人の生きざま_295_内藤・陳」

「読まずに死ねるか!」内藤陳さん死去
冒険小説の愛好家として知られた書評家で俳優の内藤陳(ないとう・ちん、本名・陳=のぶる)さんが28日、食道がんで死去した。75歳だった。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=52430
内藤陳 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%86%85%E8%97%A4%E9%99%B3/24332
内藤陳 解説 " ハメット " 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dJj3mzYAhJk
深夜+1 内藤陳/柄本明 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DpVMTz8iI2Q
内藤陳 ウィキペディアWikipedia)より
内藤陳(1936年9月18日 - 2011年12月28日)は、日本のコメディアン、俳優、書評家(但し、自身は「“面白本のオススメ屋”」とコメント)。本名の読み方は「―のぶる」。日本大学芸術学部中退。
【プロフィール】
東京都出身。プロレタリア文学作家内藤辰雄を父に持つ。
1963年夏、ストリップ劇場のコメディアン仲間の井波健・成美信と共にトリオ・ザ・パンチを結成し、「おら(=俺)、ハードボイルドだど!」などのギャグで人気を博す。1966年、井波と交代する形で久里みのるを加入させる。同年6月14日、日劇ミュージックホールのダンサーで「セクシー・ファイブ」の一員だった坂巻史子と結婚したが、のち離婚。
1981年からは月刊プレイボーイ誌で「読まずに死ねるか!」を連載し、冒険小説やハードボイルド小説を紹介。1981年に日本冒険小説協会を設立して会長に就任。以後、「読まずに死ねるか!」シリーズを単行本として出版。
新宿のゴールデン街にバー「深夜プラスワン」(ギャビン・ライアルの作品から頂いた)を経営していた。

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文藝春秋 2012年3月号
蓋棺録 「内藤陳(ないとうちん)」 (一部抜粋しています)
コメディアンで書評家の内藤陳(本名・陳[のぼる])は、漫才トリオのリーダーとして活躍し、ミステリーや冒険小説の書評でファンを楽しませた。
1936(昭和11)年、東京に生まれる。父はプロレタリア作家の内藤辰雄、母は時事通信の記者だった。
父は名作を読ませようとしたが、内藤はミステリーや冒険小説が好きだった。中学を卒業後、エノケンの映画演劇研究所に入る。初めはストリップダンサーを目指すが、ストリップ小屋からコントの仕事をもらったのが縁で、コメディアンとして出発した。
62年に、「トリオ・ザ・パンチ」を結成し、日劇ミュージックホールなどに出演。「ハードボイルドだど」のギャグが受けて、テレビでも人気が出たが、トリオは72年に活動を停止した。
コメディアンを続けていた内藤に、ミステリー好きを知った編集者が書評を頼んだことから、もうひとつの天職に出会う。作品への思いを込めた『読まずに死ねるか!』は多くのファンを獲得して、続編も次々と刊行された。
81年ころに『日本冒険小説協会』を設立して自ら会長につくと、たちまち500人ほどの会員が集まった。このころ新宿ゴールデン街でバー『深夜+1(プラスワン)』を開店。「色気なし、食べ物なし、カラオケなし」だったが、ひっきりなしにファンが訪れた。
「僕は書評家というより、オススメ屋。ダメな作品は無視するだけ」。

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内藤陳 Google 検索
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