じじぃの「人の死にざま_1213_川島・忠之助」

川島忠之助 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E5%BF%A0%E4%B9%8B%E5%8A%A9/5658309/profile
Victor Young 映画「80日間世界一周」 Around the world 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=AyBRtGi05cg
黒船 (嘉永六年六月四日) - Takanaka Masayoshi 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GCLVQtqS2Fo
我が祖父 川島忠之助の生涯 川島瑞枝/著
八十日間世界一周
作家でも学者でもない若き一銀行家が明治のはじめに出版したフランス語の本が、日本初の翻訳書として再び脚光を浴びるようになった。
幕末、明治初期の教育の水準の高さ、明治人の進取の気質。
残された膨大な資料から孫がつづる波乱の生涯。
http://www.libro-koseisha.co.jp/top03/rb1174.html
川島忠之助 とは コトバンク
●川島忠之助 デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説より
1853−1938 明治時代の翻訳家,銀行家。
嘉永(かえい)6年5月3日生まれ。川島順平の父。横須賀製鉄所にはいり,フランス語と英語をまなぶ。富岡製糸場の通訳,横浜の蘭八番館番頭などをつとめる。明治11年(1878)日本初のフランス小説の翻訳のベルヌ「新説八十日間世界一周」を出版。15年横浜正金銀行にはいり,のち重役となった。昭和13年7月14日死去。86歳。江戸出身。
ジュール・ヴェルヌ ウィキペディアWikipedia)より
ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne, 1828年2月8日 - 1905年3月24日)は、フランスの小説家。H・G・ウェルズとともにSFの開祖として知られ、SFの父とも呼ばれる。
【日本におけるヴェルヌ】
ヴェルヌの日本への紹介は、1878年明治11年)、川島忠之助が『八十日間世界一周』の前編を翻訳刊行したのが最初である(標題は『新説八十日間世界一周』。後編は1880年明治13年)に刊行)。同書はまた、日本における最初のフランス語原典からの翻訳書であった。
1883年(明治16年)には、黒岩涙香が『月世界旅行』を翻案(翻案途上で中断、出版もされていないという説がある)。
1896年(明治29年)、森田思軒が英訳からの重訳であったが『二年間の休暇』を翻訳して「十五少年」という標題で雑誌『少年世界』に連載し、単行書として刊行した。同書は、少年文学の傑作として評価され、多くの読者を獲得した。翻訳されたヴェルヌの作品は、翻訳文学史において大きな位置を占めた。

                            • -

『未来力養成教室』 日本SF作家クラブ/編 岩波ジュニア新書 2013年発行
SFを読むことが冒険だった頃 【執筆者】荒俣宏 (一部抜粋しています)
まずは、21世紀のいま、どうということもなく平穏に青少年時代を送っているみなさんに、つかぬことをお聞きする。自分がもしも60年前に生まれていたら、毎日こんなに楽しく、こんなに便利に、暮らせていると思いますか?
60年前といえば、日本人の生活は豊かではなかった。まだふつうの家にテレビはない。車も、冷蔵庫も、ない。もちろん、パソコンなんか漫画やSFの中にも出てこない。みんなに想像力があるならば、そういうひどく不便で貧しい生活をぜひ空想してみてほしい。
でも、みなさんにはたぶん、あまり楽しい想像をすることができないだろう。お金もないし、物もないのだから。というよりも、あまりに原始的な暮らしすぎて、自分がそこに投げ込まれるというような想像を、したくもないのではないだろうか。
ところが、実際は違う。必死に想像すればわかることだが、何もないということは想像力を発火させるのだ。おなかがすいて死にそうになれば、シンプルな握り飯ひとつにも強烈なリアリティーや感動を伴った空想が湧いてくるように。こころというものも同じだ。何もないからこそ想像力をひどく刺激され、好奇心がギラギラと輝きだす。つまり、こころがわくわくするのである。
じつをいうと、わたしはその60年前に自分の少年時代をすごした「経験者」だ。おまけに、いまの便利で豊かな暮らしもみんなと一緒に体験しているので、両方をくらべることができる。そして、わたしはほんとうにそう思っているのだが、現在よりも60年前のほうが何十倍もおもしろかった。なぜなら、そこには便利なものなど何1つなかったかわり、それらを自分の力で思いつき、つくりだすという喜びがあったからだ。
みなさんは、その意味では不運かもしれない。というのは、SFも漫画もアニメもパソコンも、わたしたち古い世代のおじさん、おばさんたちがゼロから作りあげる喜びを独り占めにしてしまったからだ。みなさんは、他人が喜んでつくりだしたものを、ただ押しつけられているだけにすぎない。
そんなことを堂々と言えるのは、わたしが幕末から明治ににかけてひろがった「文明開化」という過去の時代を、とてもうらやましく思う子どもだったせいかもしれない。あの時代は60年前よりももっとスリリングだったように見える。
      ・
60年前にSFやファンタジーの虜(とりこ)になったわたしは、それよりさらに100年前、SFがはじめて日本にやってきた幕末・明治初期をうらやましく思った。それは、「なにもない」度合いがさらにいっそう激しかったからである。いま読んでもこんなにおもしろいSFやファンタジーを、まだ刀を差しちょん髷(まげ)を結っていた日本人が読んだとしたら、そのおどろき、そのギャップはどれほどだったろう。そこを知りたくて、ずいぶん古めかしい本を集め出した。
たとえば川島忠之助(かわしまちゅうのすけ)という人は、ジュール・ヴェルヌの空想化学小説『八十日間世界一周』前篇を明治11年に日本ではじめて翻訳した人だ。川島は幕府がつぶれた明治元年の末に、フランス軍人ヴェルニーらの指導で江戸幕府がつくった横須賀の製鉄所に製図見習い工としてはいった。この製鉄所で使われた工作機械はものすごく新しい装置だったそうで、製鉄所をこしらえた幕府の小栗上野介おぐりこうずけのすけ)は「この工場さえあれば、幕府がつぶれても日本は大丈夫だ」という意味のことを言い残している。ヴェルニーは日本人にフランス語を学ばせる伝習所まで横浜につくった。川島はここでフランス語を習い、明治3年には職工を辞めて横浜に出、そこで文明開化の主役になっていくのだが、やがて出版されて間もないジュール・ヴェルヌの科学小説に出会うのだ。なんと80日間で世界一周を達成し、その途中に横浜にも立ち寄るという冒険小説におどろいた。これぞ文明開化だ。川島はこの物語の翻訳を手掛けるにあたり、ほんとうに世界旅行を実行して、現実とヴェルヌの小説とがピタリ一致することを体験した人だった。
真新しい「おどろき」を知った川島の翻訳したSFは、日本人に大きなショックをあたえ、小説や文学もひといきに「文明開化」へと走った。なんと2年後には、こんどは井上勤(いのうえつとむ)という人物がヴェルヌの『月世界旅行』を翻訳出版してしまうのだ。明治13年にリアルな月旅行の小説が出たとは! わたしはその現場に行って、ヴェルヌにびっくり仰天したかった。この井上勤という人も、根維持10-20年代にたくさんのSFを翻訳して有名だ。おとうさんは井上不鳴(いのうえなかず)というおもしろい名をもつ医者だった。しかも徳島で最初に種痘をほどこした先見の明ある人といわれ、江戸でシーボルトからも教えを受けた。井上不鳴も文明開化におどろいたが、科学はもっと奥深い神秘をも解明する力があると考え、いまでいう神秘学まで関心をひろげた。

                            • -

川島忠之助 Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E5%BF%A0%E4%B9%8B%E5%8A%A9&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=LrQnUsTJIo-AkgXZ8oGQAw&ved=0CE0QsAQ&biw=1030&bih=621